教育者にして近江彦根藩の埋木舎(うもれぎのや) 当主。この多彩な活動は、朝食に欠かさない大久保家自慢の野菜スープが支えている。

【大久保治男さんの定番・朝めし自慢】

前列右から時計回りに、野菜スープ(玉葱・人参・キャベツ・南瓜・昆布出汁)、パン(右からナッツパン・胡桃黒パン・ブリオッシュ・フランスパン)、バター、ソーセージとバナナ、プロセスチーズ、ポテトサラダ(じゃがいも・人参・胡瓜・キウイフルーツ・ロースハム)、ドレッシング、オニオンサラダ(玉葱・レタス・茹で卵・プチトマト)。パンは東京・巣鴨の『アルル』製を愛食。オニオンサラダには自家製のドレッシングを。
甘党で、食後のデザートを欠かさない。今朝は長男の夫人手作りのパンプキンケーキにホイップクリームを添えて。飲み物は砂糖を入れないブラックコーヒー。
3時のおやつは抹茶と近江銘菓「埋れ木」(下画像参照)。抹茶は滋賀県彦根市の日本茶専門店『みやおえん』製を愛飲している。茶道の心得があり、抹茶は必ず自らが点てる。
井伊直弼ゆかりの彦根銘菓は、上品な甘みと抹茶の香りが身上。
「埋れ木」6個入り896円。
いと重菓舗/滋賀県彦根市本町1-3-37
電話:0120・21・6003
朝7時起床、朝食は8時頃。「食糧難の子ども時代を経験しているので、好き嫌いなく、何でも美味しくいただきます」と大久保治男さん。顎鬚は20年前に夫人が入院したのを機に、病気をしないようにと願をかけて伸ばし始めたという。

「私は学者というより教育者。若い大学生と一体となって学んでいる時が一番楽しいですね」

という大久保治男さんは駒澤大学など専任の大学は4校、非常勤は中央大学など7校で務め、主として法学部で“日本法制史”を講じてきた。半世紀に亘る教員生活で教え子は7万人を数えるという。

昭和48年春、子どもたちがみな小学生になったのを記念して。右から碩子(みつこ)夫人、小学1年の次男、3年の長男、5年の長女。大久保さん、山梨県立女子短大助教授時代。

大久保教授の信念は、教育=協育=共育=享育である。たとえば、あるゼミではこんなふうだ。テーマは江戸時代の“関所破り”。ちょんまげまでかぶった力士や女、芸人などに扮した学生が次々に登場し、まるでミニ劇団の稽古風景。歴史再現パフォーマンスで、関所破りを学ぶという趣向だ。大久保教授も見学の学生と一緒になって大喜び。教授、発表者、学生らが一体となり、そこにゼミの原点があるという。教育=協育=共育=享育という所以である。

「私は“母校は母港”であるとも考えています。卒業したら“さよなら”ではなく、青春時代の心の故郷として時々立ち戻る母校であってほしいと願っています」

その言葉通り、毎年の新年会には延べ100人以上の教え子が自宅へ来遊するという。

“ママスープ”を飲んで10数年

大久保さんは生まれも育ちも東京だが、先祖は幕末の彦根藩(滋賀県)の重臣である。彦根藩主であった井伊直弼が若き日を過ごした埋木舎が本宅で、大久保さんはその5代目だ。ちなみに、埋木舎はNHK大河ドラマ第1作『花の生涯』の主舞台で、国の特別史跡でもある。そういった関係から、大久保家の食卓には近江産のあれこれが欠かせない。たとえば、すき焼き用の牛肉は彦根にある専門店『千成亭』の近江牛、琵琶湖産の鮎の佃煮は『あゆの店きむら』から取り寄せている。

彦根城と中濠を隔てた埋木舎。井伊直弼が17歳から15年間を過ごした侘び住居 で、大久保さんは5代目当主を務めている。「井伊直弼の人格形成がなされた学問所でもあり、直弼居住のままの姿を残しています」と大久保さん。

食べることが趣味という食道楽の朝食はさて、どんな献立か。パンにスープという洋風だが、欠かせないのが“ママスープ”と呼んでいる野菜スープだ。

「家内の作ってくれるこのスープを飲んで10数年。年のわりには若く見られるのはこのおかげです」

2年ほど前からは、長男自家製のポタージュスープ3種も加わった。これらが日替わりで登場する。三方がガラス戸のリビングで木々の緑を見ながら、朝日を浴びて朝食を摂るのが元気の秘訣である。

長男お手製のポタージュスープ。右からブロッコリー、南瓜、蕪。それぞれの野菜を茹でてミキサーにかけ、鍋にもどして牛乳や豆乳、コンソメで味つけするのが基本。冬季は温めて、夏季は冷やして。
学生時代から夜型で、夕食後の夜の8時から11時頃までは書斎に籠ることが多い。原稿執筆や埋木舎に関する古文書の整理などの時間で、その後、入浴。午前0時前には就寝というのが決まりだ。

井伊直弼の埋木舎を長く後世に語り継ぎたい

大久保家の先祖に、直亮(なおあき)・直弼(なおすけ)・直憲(なおのり)と3代彦根藩主に仕えた側役がいる。大久保小膳である。

「井伊直弼の時代、小膳は直弼の学問や茶道のお相手役でした。直弼逝去後は藩公文書を命がけで保存。また、明治の廃藩では彦根城天守閣の保存運動も進めました」

これらの功績により明治4年、埋木舎は藩庁より大久保家に寄贈。かくして、埋木舎は大久保家の本宅となったのである。

「井伊直弼学問所 埋木舎」とある大門前で大久保さんと碩子夫人。埋木舎は藩主の跡継ぎ以外の男子を育てた屋敷で、若き井伊直弼が暮らした。屋敷の建物や庭は、当時のままの姿をとどめている。
埋木舎の直弼の居間での茶会で。ちなみに彦根市は、条例で直弼の茶道を中心に“茶の湯の街”と制定され、千利休の大阪府堺市、松平不昧の島根県松江市とともに「三大茶の湯の街」となった。

さて、埋木舎で若き日を過ごした直弼は、どんなものを食していたのか。彦根城博物館副館長の渡辺恒一さんによると、

「残念ながら直弼公の食事の記録は残っていませんが、息子・直憲の彦根での食事は一汁三菜が基本。この他におやつや夕膳で“お好み”、つまり好物の大鮎や鰻などの蒲焼を食していたようです」

これは明治元年、直憲が数えで21歳の時の食事記録。直弼もそう変わりないように思われる。

埋木舎を大久保家が所有して150年、この間には水害や大地震など幾多の困難にも見舞われた。が、直弼を偲ぶ縁(よすが)として、語り継ぐのが使命だという。

著書『江戸の刑罰 拷問大全』は、江戸時代の法律と刑罰を、当時の資料とイラストで紹介。『埋木舎で培われた井伊直弼の茶の湯』は、井伊直弼茶道・摂草庵流宗家の前田滴水さんとの共著。大久保さんは「直弼にとって茶道は心を修練する術だった」という。

※この記事は『サライ』本誌2023年3月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。 ( 取材・文/出井邦子 撮影/馬場 隆 )

 

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