教育者にして近江彦根藩の埋木舎(うもれぎのや) 当主。この多彩な活動は、朝食に欠かさない大久保家自慢の野菜スープが支えている。
【大久保治男さんの定番・朝めし自慢】
「私は学者というより教育者。若い大学生と一体となって学んでいる時が一番楽しいですね」
という大久保治男さんは駒澤大学など専任の大学は4校、非常勤は中央大学など7校で務め、主として法学部で“日本法制史”を講じてきた。半世紀に亘る教員生活で教え子は7万人を数えるという。
大久保教授の信念は、教育=協育=共育=享育である。たとえば、あるゼミではこんなふうだ。テーマは江戸時代の“関所破り”。ちょんまげまでかぶった力士や女、芸人などに扮した学生が次々に登場し、まるでミニ劇団の稽古風景。歴史再現パフォーマンスで、関所破りを学ぶという趣向だ。大久保教授も見学の学生と一緒になって大喜び。教授、発表者、学生らが一体となり、そこにゼミの原点があるという。教育=協育=共育=享育という所以である。
「私は“母校は母港”であるとも考えています。卒業したら“さよなら”ではなく、青春時代の心の故郷として時々立ち戻る母校であってほしいと願っています」
その言葉通り、毎年の新年会には延べ100人以上の教え子が自宅へ来遊するという。
“ママスープ”を飲んで10数年
大久保さんは生まれも育ちも東京だが、先祖は幕末の彦根藩(滋賀県)の重臣である。彦根藩主であった井伊直弼が若き日を過ごした埋木舎が本宅で、大久保さんはその5代目だ。ちなみに、埋木舎はNHK大河ドラマ第1作『花の生涯』の主舞台で、国の特別史跡でもある。そういった関係から、大久保家の食卓には近江産のあれこれが欠かせない。たとえば、すき焼き用の牛肉は彦根にある専門店『千成亭』の近江牛、琵琶湖産の鮎の佃煮は『あゆの店きむら』から取り寄せている。
食べることが趣味という食道楽の朝食はさて、どんな献立か。パンにスープという洋風だが、欠かせないのが“ママスープ”と呼んでいる野菜スープだ。
「家内の作ってくれるこのスープを飲んで10数年。年のわりには若く見られるのはこのおかげです」
2年ほど前からは、長男自家製のポタージュスープ3種も加わった。これらが日替わりで登場する。三方がガラス戸のリビングで木々の緑を見ながら、朝日を浴びて朝食を摂るのが元気の秘訣である。
井伊直弼の埋木舎を長く後世に語り継ぎたい
大久保家の先祖に、直亮(なおあき)・直弼(なおすけ)・直憲(なおのり)と3代彦根藩主に仕えた側役がいる。大久保小膳である。
「井伊直弼の時代、小膳は直弼の学問や茶道のお相手役でした。直弼逝去後は藩公文書を命がけで保存。また、明治の廃藩では彦根城天守閣の保存運動も進めました」
これらの功績により明治4年、埋木舎は藩庁より大久保家に寄贈。かくして、埋木舎は大久保家の本宅となったのである。
さて、埋木舎で若き日を過ごした直弼は、どんなものを食していたのか。彦根城博物館副館長の渡辺恒一さんによると、
「残念ながら直弼公の食事の記録は残っていませんが、息子・直憲の彦根での食事は一汁三菜が基本。この他におやつや夕膳で“お好み”、つまり好物の大鮎や鰻などの蒲焼を食していたようです」
これは明治元年、直憲が数えで21歳の時の食事記録。直弼もそう変わりないように思われる。
埋木舎を大久保家が所有して150年、この間には水害や大地震など幾多の困難にも見舞われた。が、直弼を偲ぶ縁(よすが)として、語り継ぐのが使命だという。
※この記事は『サライ』本誌2023年3月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。 ( 取材・文/出井邦子 撮影/馬場 隆 )