文/小林弘幸
「人生100年時代」に向け、ビジネスパーソンの健康への関心が急速に高まっています。しかし、医療や健康に関する情報は玉石混淆。例えば、朝食を食べる、食べない。炭水化物を抜く、抜かない。まったく正反対の行動にもかかわらず、どちらも医者たちが正解を主張し合っています。なかなか医者に相談できない多忙な人は、どうしたらいいのでしょうか? 働き盛りのビジネスパーソンから寄せられた相談に対する「小林式処方箋」は、誰もが簡単に実行できるものばかり。自律神経の名医が、様々な不摂生に対する「医学的に正しいリカバリー法」を、自身の経験も交えながら解説します。
【小林式処方箋】人前に出たら、掛け時計を探してみる。
一瞬でも他のことに集中する
大事なプレゼン。口から心臓が飛び出しそうになり、呼吸はハアハア。緊張している証拠です。緊張するな、というほうが無理でしょう。
自律神経の観点から言えば、緊張しているというのは、交感神経が極度に高まっているという状態。だとすれば対策は簡単です。
交感神経の高ぶりを抑えてあげればいいのです。
最も簡単な方法をお教えしましょう。それは「会場の掛け時計を探す」というもの。たったこれだけです。
仮に時計がなかったとしても問題ありません。
「時計を探す」ということに一瞬でも集中することが肝要。集中することで冷静になれますので、交感神経も鎮まるのです。すると、気づいた時には極度の緊張からは抜け出せているはずです。
それでもまだ不安だ、という人は、「手首トントン」はいかがでしょう?
手首の外側(腕時計をはめた時に文字盤がくる側)を、もう一方の手の薬指と中指の2本で、一定のリズムでかつゆっくりと叩くのです。これも副交感神経を高めるのに効果があり、いらだちや焦りから解放されるでしょう。
同じく、指先で机(もしくは太ももや腕)をトントンと叩く。これも同様の効果があります。
この時、小刻みに慌ただしく叩いてしまうと逆効果ですので、あくまでゆっくり、ゆっくり。呼吸のスピードを目安にするといいでしょう。
「作り笑い」にもリラクゼーション効果
さあ、プレゼンが始まりました。
あなたはどんな表情をしていますか? もしかして、真剣になるあまり「しかめっ面」になっていませんか?
これでは、せっかく解けた緊張が、また戻ってきてしまいます。実は、口角が下がり、眉間にしわのよった「しかめっ面」、そういう表情になることで、顔の筋肉の緊張を高めているのです。
筋肉が緊張しているというのは、交感神経が高まっている証拠です。
ではどうするか。
「しかめっ面」の逆、そう「笑顔」です。
私は、さまざまな表情をした時の自律神経の状態を計測したことがあります。その結果判明したのは、「口角を上げると副交感神経が上がる」ということでした。
つまり「笑顔」が最も、副交感神経を高めるのに効果があったのです。
これは、心から笑った場合でも、意図的に作り笑いをした場合でも、数値に違いはありませんでした。
とにかく口角を上げさえすればいいのです。
まだ仮説の段階ですが、おそらく、「口角を上げる」という笑顔特有の動作が、顔筋の緊張をほぐし、それが心身全体のリラクゼーション効果をもたらしているのでしょう。
最近、医療現場でも「笑い」の効用が説かれ、笑いを取り入れる試みもなされるようになってきました。
「笑顔になればガンが治る」など、いかにも胡散臭く思われてきましたが、実際の検証はともかく、自律神経の観点から言えば、あながち嘘とも言い切れないのです。
実際、リウマチ患者に落語を聞かせる実験や、ガン患者らに吉本新喜劇を見せ、ナチュラル・キラー細胞(NK細胞)の活性化の変化を調べるという実験が行われています。
NK細胞とは、人間の体に備わっているガン細胞を直接攻撃する細胞のことで、これが活性化していれば、ガンになりにくく、逆に活性が低いと、ガンになりやすいと言われています。つまり「笑い」がNK細胞を活性化させ、ガンになりにくくさせているというわけです。
また同様に、「笑い」は、糖尿病や抑うつにも効果があるという研究もあります。笑うと鎮痛作用のある脳内ホルモンのエンドルフィンが分泌され、痛みを緩和する働きがあると報告されています。
まさに、「笑う門には福来たる」であり、「病は気から」というわけです。昔の人は、このことを経験的にわかっていたのでしょうか?
シブコが全英オープンで勝った理由
最近も、世界一になったあるアスリートの「笑顔」が注目されました。
「シブコ」こと、渋野日向子選手です。2019年8月、「AIG全英女子オープン」で日本人女子選手として42年ぶりとなる海外メジャー優勝を果たしたのは、記憶に新しいところです。
しかも初挑戦での戴冠でした。
この時、世界からも注目されたのが「シブコ・スマイル」です。アメリカのTV中継局のアナウンサーが、「最終日最終組でティオフする選手が1番ティであんなふうにスマイルを見せるなんて!」と驚きの声をあげていたほどです。
海外メディアはこぞって、「スマイリング・シンデレラ」と渋野日向子選手を称えました。
渋野選手も帰国後の記者会見で、「強さの秘訣は?」と問われ、
「最終日最終組でも笑っていられるのが強さの秘訣」
と答えていますから、「笑う」ということに自覚的なのでしょう。「笑顔」が、優勝をたぐりよせたことは間違いありません。
もうひとり、2019年のスポーツ界で「笑顔」が目立ったのは、読売ジャイアンツの原辰徳監督です。
チームの4年連続V逸をうけての、4年ぶりの監督復帰でした。相当なプレッシャー、とてつもない緊張感の中での就任だったことは、想像に難くありません。プレゼンの緊張の比ではないでしょう。野球中継やスポーツニュースなどを見た時には、原監督の表情に注目していました。
良し悪しは別にして、他チームの監督さんは、どちらかというとベンチの中で表情が変わりませんでした。
常に厳しい表情で、滅多に笑顔も見せません。「笑顔」の効用を利用できなかったといえるかもしれません。
ところが原監督は、表情が豊かでした。かつ、たいていが「笑顔」。
〈考え方一つで目の前のつらいことも楽しみに変えられるんだぞ〉(スポーツ報知web/2019年7月30日)
と親しい記者に語っていたそうですから、原監督もまた「笑顔」に自覚的であったと考えられます。
結果はどうだったでしょうか。
7月30日には、監督通算1000勝を達成。さらに監督として自身8度目、5年ぶりにセ・リーグを制覇しました。残念ながら日本一は逃してしまいましたが、それでも「笑顔」は絶やしませんでした。
原監督は笑顔によって、自律神経のバランスを整え、そのいい流れがチームにも伝わった。そう考えてもいいように思います。
『不摂生でも病気にならない人の習慣』
小林弘幸 著
小学館
定価 924 円(本体840 円 + 税)
発売中
文/小林弘幸
順天堂大学医学部教授。スポーツ庁参与。1960年、埼玉県生まれ。87年、順天堂大学医学部卒業。92年、同大学大学院医学研究科修了。ロンドン大学付属英国王立小児病院外科、トリニティ大学付属小児研究センター、アイルランド国立小児病院外科での勤務を経て、順天堂大学医学部小児外科講師・助教授などを歴任。自律神経研究の第一人者として、トップアスリートやアーティスト、文化人のコンディショニング、パフォーマンス向上指導にも携わる。また、日本で初めて便秘外来を開設した「腸のスペシャリスト」でもある。自律神経の名医が、様々な不摂生に対する「医学的に正しいリカバリー法」を、自身の経験も交えながら解説した『不摂生でも病気にならない人の習慣』(小学館)が好評発売中。