香りというものは、その日の体調によっても感じ方が変わるし、ひとの嗅覚は、しばらく同じにおいを嗅いでいると、麻痺して感じにくくなるという特性を持っている。店主が指摘した通り、感じ方の個人差も大きいし、そのときの意識の持ちようによっても鈍くなったり、敏感になったりする。
また、食材についていえば、すべての香りは揮発性であり、特に蕎麦の香りは調理の過程で失われやすく、最後に客に供する段階まで香りを維持することは、とても難しい。だからこそ蕎麦は香りが命であり、蕎麦の本質は香りにあるとまで言われたりするのだ。
さて、ここまで読み進んで、なるほどと納得していただけただろうか。実をいうと、ここまで書いたことは単なる前置きで、僕が本当に取り上げたい問題は、ここから先にあるのだ。
あまり知られていないことだが、蕎麦の香りというものは、本来そんなに薄いものではない。神経など集中しなくても、口に入れればガツンと感じるものなのだ。
きちんと栽培され、収穫後に正しく処理された蕎麦は、とても強い香りを有している。味も驚くほどに濃厚だ。その味と香りが、我々が食べるときには、いったいなぜ、薄くなってしまうのだろうか。
これが「蕎麦屋の七不思議」の三つめの不思議なのだが、本当のことをいうと答えはわかっている。わかってはいるが、説明するのが実にやっかいな問題なのだ。解説するには、まるまる本一冊分ぐらいのスペースが必要となる。だから言いかけて途中でやめるみたいで申し訳ないのだが、ここではひとまず問題提起だけにとどめておきたい。
さらに詳しいことは、また折をみて、『サライ』の特集記事などで、随時ご紹介したい。思わせぶりで恐縮だが、なにしろ「蕎麦屋の七不思議」なので、答えが提示できないことが多いのだ。
文・写真/片山虎之介
世界初の蕎麦専門のWebマガジン『蕎麦Web』編集長。蕎麦好きのカメラマンであり、ライター。著書に『真打ち登場! 霧下蕎麦』『正統の蕎麦屋』『不老長寿の ダッタン蕎麦』(小学館)『ダッタン蕎麦百科』(柴田書店)などがある。