京料理や野菜、湯葉、豆腐、和菓子など京の食材が上質さを保ちながら発展するのは、地下深くにたゆたう清らかな水の力といっても過言ではない。古から都を潤してきた京の水は、今も満ちて京の食を高めていく。
老舗料亭の3代目主人が語る旨味の出し方
日本料理は京で生まれ京で発展した。素材の持ち味を大切にする料理と、華美よりも落ち着きを重んじる設え。以心伝心という言葉を形にしたかのようなもてなし。
世界も注目する料亭文化の基本は水にあると語るのは、祇園・高台寺近くにある『菊乃井本店』3代目の村田吉弘さんだ。
「うちの先祖は豊臣秀吉の正室、北政所とともに高台寺に入った茶頭です。境内には菊水の井という名水があり、所望されるとお茶を点て、ちょっとした料理も作る。そんな役回りだったようです」
その井戸は覗き込むと満開の菊花のように水が滾々と湧いていた。菊水の井の名の所以である。
「この水を使って私のおじいさんが料理屋を始めました。若い頃の私は、この水の価値が全然わかっていませんでした。どこへ行っても水は水やろ。そんな程度です」
料理と水の関係に気がついたのは、料理修業のためにフランスへ渡った20代のときだ。
「向こうは硬水なんですね。容器に入った市販のミネラルウォーターはワインと同じくらいの値段がするのですが、口に含むと舌にざらつく。はじめて自分が生まれ育った京都の水に目が向きました」
「美味是唯淡」の意味
村田さんがつねに口にするのが〈最良の水が最良の料理を作る〉だ。水の硬軟はときに調理方法を限定する。出汁がその典型だ。
「昆布の旨味はグルタミン酸ですが、水の硬度が高いと出にくくなります。温度を上げても同じことです。今度は昆布の周りを粘液が取り巻いて旨味が滲出しない。京都で昆布出汁の文化が発展したのは、グルタミン酸が出やすい低ミネラルの水に恵まれたからです」
一方、鰹節出汁の旨味成分であるイノシン酸は水の硬軟の影響を受けにくい。水がやや硬めの地域では、鰹節を多めに出汁を取ることで旨味のバランスを図るようになったと考えられるという。
「大阪や東京は京都より鰹節を使います。東京は醤油の量も多い。醤油にはグルタミン酸が豊富に含まれています。これは昆布の旨味の補いという見方ができます」
村田さんが座右の銘としている言葉がもうひとつある。〈美味是唯淡(びみこれただたん)〉だ。鎌倉初期の禅僧道元は『典座教訓(てんぞきょうくん)』の中で、料理は苦味、酸味、甘味、辛味、塩味の五味が基本だと語ったうえで、精進料理で重要なのは6番目の味「淡味」だとする。淡味とは食材の個性を損なうことなく引き出す味、すなわち出汁のことと考えてよい。
中国の古典『菜根譚』にも〈真味只是淡(しんみはただこれたん)〉という言葉がある。これらが合体して定着したようだ。
料理に最も大切な旨味の出方は、使う水によって微妙に、あるいは大きく左右される。和食とは「水の料理」と説く村田さんだが、まだまだ探究の余地はあると語る。
●解説 村田吉弘さん(『菊乃井』主人・72歳)
菊乃井本店
京都市東山区下河原町459
電話:075・561・0015
営業時間:昼12時~(最終入店12時30分)、夜17時~(同19時30分)
定休日:第1・第3火曜(年末年始休みあり)
交通:京阪本線祇園四条駅下車、徒歩約20分
取材・文/鹿熊 勤 撮影/奥田高文