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菊乃井本店

インターネットの情報を何かにつけて頼りにしてしまう、昨今。中でも、飲食店の良し悪しに至っては、曖昧で漠然とした評価に翻弄されている感じもいたします。インターネットの評価を真に受けて苦い思いをした方も多いのではないでしょうか。そうした昨今の風潮について、『菊乃井』三代目主人の村田吉弘(むらたよしひろ)さんは、憂うように次のようにおっしゃいました。

「どのような評価をしようと人様の勝手ですが、ただ、店の形式、種類や分野が異なる料理を“日本料理”と一括りにして、順位を決めるのは如何なものなんでしょうかね? そうした見方は、日本の食文化を歪めているように思いますが……」

今回ご紹介する『菊乃井 本店』のもてなしにも、そうした村田さんの日本料理への想いを感じていただけると存じます。

【京の花 歳時記】では、季節の花と和食、京菓子、宿との関わりを一年を通じて追っていきます。第14回は、八坂神社近く、『菊乃井 本店』の弥生の花と京料理をご紹介します。

◆上巳の節句の八寸

『菊乃井本店』の弥生の献立の中から、今回は八寸(会席料理において酒の肴になる料理を少量ずつ盛り合わせたもの)を取り上げます。

平安時代に行なわれた遊び「貝合わせ」をモチーフにした貝桶は、桃色の紐が結ばれた状態で運ばれてきます。桶に描かれているのは菊や桐の御紋。有職家(ゆうそくか)のみが使える京都らしい赤や青の色合いが雅です。

「蓋を開けるところから楽しんでいただけるように、慎ましやかな中に優美さが出るよう、はんなりとした桃色の紐で桶を結びました。蓋を開けたら、上巳の節句を一目で感じていただけるように料理を配しています」と村田さん。

右の器から時計回りに、花弁百合根いくら、白魚雛寿司、器の中は人参葉と金時人参の辛子胡麻和え、蕗味噌和え、木の芽和え(筍・烏賊・独活<うど>)、蛸柔らか煮、花びら独活、蕨が並びます。

「白魚雛寿司は紅芋酢でご飯を赤く染め、上巳の節句を祝います。蕗を味噌で和えた、“蕗味噌和え“は、今年初めて提供するものです。蛸柔らか煮は昨年まで飯蛸を使っていましたが、明石で獲れなくなってしまったので今年は素材を変えました。

お客様の嗜好も年々変わりますし、それに合わせて自分の思考も変わります。また、気候変動や環境の変化により使える食材も変わるので、献立は頭の中で反芻しながら毎月発想していますね」と村田さん。

上巳の節句のしつらいと献立が味わえるのは、4月3日(月)まで。桜が咲く頃には、献立も一新されます。

◆「松の間」に飾られた、桃の花

今回は『菊乃井 本店』の1階、玄関を入ってすぐの「松の間」にて取材をさせていただきました。床の間には、桃の花と菜の花が生けられていました。

菊乃井本店
花入は魯山人のもの。

「上巳の節句の花は、やはり桃の花と菜の花でしょう。女の子の成長と幸せを祈る行事ですから、三浦竹泉の可愛らしい香炉も置きました。合わせた軸は伊藤若冲のもの。ひよこが描かれた、春の軸です。

ここは、1850年代に作られた部屋です。その時の当主が隠居した時に使っていた客間でした。昔は暖をとる手段が火鉢しかなかったので、壁や天井が黒く煤けていました。それを昔ながらの味わいや、時代の重みを残しながら、しつらえ直しています。

何でも新しくすればいいというものではありません。時に磨かれた色合いを残しながら、大切に使うのが“文化”だと思っております」と村田さん。

5代目島田耕園による御所人形。この人形は村田さんがモチーフになっているため、服には「吉」と書いてある。3月は雛人形を持っている。

庭に続く、窓硝子には不規則な歪みがありました。

「大正から昭和初期に作られた、窓硝子です。当時は、一枚一枚手作りをしていたため、よく見ると均一ではなく歪みがあり、一つとして同じものはありません。この硝子越しに庭を眺めると、どこか懐かしさが感じられます。

こうした硝子は今ではもう作れないので、博物館の館長などは『価値のあるものだから、飾らず大切に保管なさったほうがいいですよ』とよくおっしゃいます。しかし、“価値がある”と言われるものや美術品が、さり気なく置いてあるのが料理屋なんです」と村田さんは言い切ります。

歪みのある硝子から見た、室内。

◆おもてなしの大切さ

「『菊乃井』に行くのは気後れがすると思われがちですが、そんなことはありません。料理屋は公共の施設の一つですから、万人に来てもらえる場所です。とはいえ、緊張して来られる方もいらっしゃるので、そういう時は『いい天気でよかったですなぁ』とか『どこに行ってきたんですか?』などと明るく話しかけたり、『いらっしゃいませ、主人でございます』と丁寧に挨拶をすることで緊張を解きほぐすようにしています。

お客様は千差万別ですから、同じような接遇はいたしません。『歯が悪いから鯛を薄めに切ってな』と気さくに話しかけてくださる方もいれば、終始難しい顔をなさっている方もいらっしゃいます。ですから、できるだけお客様の表情や振る舞いを見て、お声がけする言葉や話しかける頻度を変えております。

それらの行動は全て、心和やかに楽しく食事をしていただきたいから。だから、仲居さんのおもてなしが大切なんです」と、村田さんは言葉を強めました。

『菊乃井』三代目主人の村田吉弘(むらたよしひろ)さん。

*   * *

取材の最後に、村田さんならではの蘊蓄あるお話を聞くことができましたのでご紹介します。

「“料理を盛り付けた皿の中に文化があるか?”と尋ねられたら、私は料理そのものは文化ではないとこたえます。

『料理』と『しつらい』と『おもてなし』が整ってこそ“料亭”なんです。しかしながら、そんな料亭でも緊張したり、怒ったり、悲しんだり、辛い気持ちで、食べたのでは美味しくありません。

そんな気持ちでは、料理を“文化”とは感じられないでしょう。楽しく召し上がっていただいてこそ、料理は文化となるのです」

「菊乃井 本店」

住所:京都市東山区下河原通八坂鳥居前下る下河原町459
電話:075-561-0015
営業時間:12時~12時30分、17時~19時30分(ともに最終入店)
定休日:第1・3火曜(※定休日は月により変更となる場合あり)、年末年始
https://kikunoi.jp

撮影/坂本大貴
構成/末原美裕(京都メディアライン HP:https://kyotomedialine.com Facebook

※本取材は2023年3月3日に行なったものです。

 

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