人間とは曖昧な動物である。だが、こと仕事に関していえば、上司からの曖昧な指示ほど困ることはないだろう。マネジメント課題解決のためのメディアプラットホーム「識学総研」から、曖昧さを回避することの重大さを知ろう。
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少なくとも仕事では「あいまいさ」は可能なかぎり排除されなくてはならない。
人間関係とは、極めて曖昧なものだ。
好きか嫌いか?
ウソか本当か?
信用できるか、信用できないか?
そうしたことは、一つ一つをクリアに出来る性質のものではない。
『好きだけど嫌い(乃南アサ)』のように、シュレーディンガーの猫よろしく、「好きでもあり、嫌いでもある」とか「ウソでもあり、本当でもある」とか「信用できるけど、信用できない」と言った状態が、実際に存在し得るのである。
だから、人間関係をクリアに定義づけることはケンカの種になるし、対して良い結果を生まない。
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ただ「仕事」にこの感覚をそのまま持ち込んでしまうと、問題が頻発する。
例えば、
「成果が出ているようであり、出てないようでもある」とか
「打ち手が正しいようであり、正しくないようでもある」とか
「予算はあるけど、ない」とか。
こうした発言は、働く人達を大いに悩ませる。
例えばこんな会話だ。
「課長、提案書ができました。」
「お、ありがとう見せてくれ。」
「どうぞ。指示のあった、『お客様の要望』『現状の課題』『課題解決のための施策』『見積もり』『スケジュール』はすべて、盛り込みました。」
「お、いいね。」
(課長がパラパラと提案書を眺める)
「どうですか課長?」
「んー、悪くない。」
「お、では私はこれで……」
「ちょっとまって。」
(課長はブツブツ考えている)
「なんですか?」
「あのさ、なんかこれ、今ひとつなにかが足りないんだよね。」
「……と、申しますと?」
「んー、なんだろうな……。」
「課長、そういわれましても……もう遅いですし、本日はこれで失礼しようかと。」
「いやいや、ちょっと待ちなさい。なにか足りない。」
「課長がおっしゃっていた項目は全部、入っていますよ。何が足りない、っておっしゃるんですか?」
「……最初の挨拶かな……うん。」
「じゃ、最初の挨拶をいれますね。」
「うーん……ちょっと考えてみてよ。」
「いや、課長が足りないと思うんだったら、課長が考えてくださいよ。」
「わっかんないかなー、この感覚、いい加減に仕事してるからじゃない?」
「(……ハァ?怒)」
特に非生産的なのが、上の例にもある通り、
「指示が曖昧なこと」だ。
そして、その延長にある
「成果が曖昧なこと」。
さらに言えば、成果が曖昧だと、
「評価が曖昧なこと」が問題になる。
実際、上では課長が「なにか足りない」と言っているようだが、それを言語化できないのは部下の責任ではなく、上司の無能の責任だ。
このようなことを述べると、「仕事ってのは、相手の考えていることを先読みしてやるもんだ」とか言う人が出てくる。
もちろん「ある程度は」それが可能な人もいるし、実際に上のようなシーンで、課長の求める成果品を出してしまう人もいるだろう。
だが、それはあくまで「例外」であるし、全員ができるわけではない。
マネジメントのデフォルトに据えてしまうのは最悪の行為である。
いや、仮にこの部下が「どうしようもなく、できない人」で、あったとしても、課長の発言は正当化できない。
なぜなら、課長はお客さんと同じような立場に立って、単に「文句」を言っているだけで、何ら具体的な解決策の提示もしていないからだ。
上司は部下に合格、不合格の基準を明確にする必要があるが(それが品質管理だ)この課長はそれを全面的に放棄している。
いわば、部下に考えることを丸投げしているだけである。
したがって「相手の考えていることを先読みして」と言う前に、課長は自分の思ったことを言語化し、明確にする努力をする必要があるし、それができないのであれば、部下の作ったものに対してケチを付けてはいけない。
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さて、上のようなことが常態化している会社は、一体どうなってしまうのか。
結論から言えば、会社のマネジメントは崩壊する。
上司の指示が気分でコロコロ変わり、
成果の定義が示されず、
どのように仕事をしたら評価されるのか全くわからない世界では、誰も仕事の成果を追求しなくなる。
すなわち、マネジメントの崩壊だ。
逆に、卓越している会社は「成果」を明確にするために手を尽くす。
良い目標を創るために邁進する。
なぜなら、成果を明確に定めると、実際に業績が上がるからだ。
グーグルの業績管理システムはつねに目標設定から始まった。2000年代初め、グーグルの取締役だったジョン・ドーアは、インテルが使って大成功を収めていたある手法を目にし、グーグルに導入した。それがOKR(ObjectivesandKeyResults:目標と主要な結果)だ。
結果は具体的、計測可能、検証可能でなければならず、すべての結果を達成すれば目標を成し遂げたことになる。
(中略)
目標というテーマに関しては、学術調査と直感が一致する。つまり、目標を設定すると業績がよくなるのだ
(出典:東洋経済新報社 ラズロ・ボック ワーク・ルールズ)
繰り返しになるが、Googleを始めとした、優れた会社では、皆が「成果を明確に定めること」に血まなこである。
我々は何をすべきか?
我々がやろうとしていることは正しいか?
我々がやったことはどのような結果を生んだか?
我々はどのような軌道修正を加えなければならないか?
こうした情報は「明確」に定義をしなければ、決して得られないことばかりである。
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かつて日本の多くの企業は「成果を出す」ことではなく「和を保って皆で仲良くやる」ことを主眼においていた。
だから上司の極めて曖昧な指示に対して「忖度」し、職場の和を保つことが仕事の要件として重視されていた。
しかし、もはやそのような時代は過ぎ去った。
企業は成果を出さねばならず、成果を出せない会社は市場からすぐに追い出される、誠に公平な世界が広がった。
そのような状況の中、未だに「曖昧な指示」を出しておきながら許される上司がいるのは、もはや驚きというほかない。
少なくとも仕事では「曖昧さ」は可能なかぎり排除されなくてはならない、これは現代のビジネスパーソンであれば、誰もが心に留めておくべき教訓である。
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いかがだっただろうか。こと仕事に関しては、曖昧さの回避が重要な結果を生むということがおわかりいただけただろうか。
引用:識学総研 https://souken.shikigaku.jp/