豊かさに憧れていた昭和20年代、卵は特別な日にしか味わえない贅沢品だった。溶いた卵に醤油を垂らし、炊きたてのご飯にかけた時の高揚感が、懐かしい思い出になっている人もいるだろう。
日本人に馴染み深い玉子かけご飯は、いつ頃から食べられていたのだろうか。江戸時代の料理書に詳しい、女子栄養大学名誉教授の松本仲子さんは、こう語る。
「我が国では仏教の影響などから、食生活で獣肉忌避の習慣がありました。肉だけでなく卵もその対象だったようです。鶏は時を告げる鳥で、コケコッコーと鳴くことで夜が閉じる神秘的な存在とされていました。鶏は魔除けの力を持つともされ、鶏卵も口にするのを避ける人が多かったようです」
卵が食材として文献に登場するのは、古いところでは江戸時代初期の寛永3年(1626)。
「後水尾天皇の二条城行幸の際に供された献立記録『後水尾院様 行幸 二条城御献立』です。そこに天皇の饗応に用意されたカステラの材料として“玉子”が登場します」
江戸時代中期になると、卵は庶民へと普及し、様々な玉子料理が生まれ、文献にも登場する。だが、それらの調理法のほぼすべてが焼く、煮る(茹でる)、炒るなど火を通すものだ。その昔、生卵をご飯にかけて食べた人がいたかもしれないが、「当時の文献には見られない」と松本さんはいう。
ただし、今から約200年前の江戸後期に書かれた料理書『素人庖丁』(しろうとぼうちょう※)に、現在の玉子かけご飯に近いと思われる献立が載っている(下の写真)。釜で炊いたご飯に溶いた卵をかけて、蓋をして蒸すという、いわば「玉子飯(たまこめし)」である。
これを同書の記述に従って再現すると、以下のような手順となる。
江戸の庶民が親しんだ「江戸前」の玉子飯を、自宅で味わってみるのも一興だろう。
※『素人庖丁』は、享和3年(1803)、文化2年(1805)、文政3年(1820)に刊行された、3巻からなる庶民向けの料理書。玉子飯の作り方は第2巻の「魚鳥飯之部」に記されている。
■解説/松本仲子さん(女子栄養大学名誉教授)
昭和11年、京城(現・ソウル)生まれ。女子栄養大学大学院栄養学研究科修士課程修了。女子栄養大学名誉教授、医学博士。著書『食生活論』(化学同人社)、『近世菓子製法書集成』(平凡社)など。
文・写真/片山虎之介
料理コーディネート/田中優子(トリート・テーブル)
(本記事は『サライ』2015年6月号に掲載された記事からの一部抜粋です)