文/鈴木拓也
かつては不治の病という扱いであったが、医療の進歩により5年・10年生存率が向上したがん。
生存率が向上したとはいえ、やはり3人に1人は亡くなる病気であり、多くの患者はがんの宣告を受けると「頭真っ白、目の前真っ暗」という精神状況に陥る。
もし、その患者が自分の親であったら、子としてどう対応すべきだろうか?
親と一緒にうろたえるのでなく、正しく対処するための1冊が出ているので紹介したい。書名は『親ががんになったら読む本』(主婦の友社)といい、著者は静岡県立静岡がんセンターの山口建総長。患者の声から学ぶ「がんの社会学」の研究者としても名高い先生だ。
■親の話をじっくりと聞く、聞き役に徹する
がんと診断されたとき、誰もがショックのあまりパニックに陥るのが常だ。山口総長によれば、この心理状態は「衝撃期」とよばれ2~3日続くという。その後は、恐怖や不安の念にとらわれる「不安定期」が1~2週間、その後に不安などがありながらも、現状をやや受けれる「適応期」に入る。
衝撃期における、子を含む家族がなすべきことは、「患者さんの話(思い)をじっくりと聞いて、心の中によどんでいるさまざまな感情を受け止め、共感する」ことだという。親(患者)の言葉を聞く側としては、「何かアドバイスをしなければ」と思ってしまうが、ここはじっくりと聞き役に徹する。また、肩に手を置いたり、手を握ったりすると、その思いは親にも伝わる。山口総長は「同悲同苦」という言葉を使っているが、親の悲しみや苦しみを自分のものとし、寄り添う姿勢が理想だという。
こうすることで、親は心の重荷を軽くし、治療に向けて前向きな気持ちを持てるようになる。
■親の姿勢が積極的か消極的かで対応は異なる
衝撃期を乗り越えた親が、闘病に積極的な姿勢で臨んでいる場合、親が正しい行動をとれるようサポートすることが大事。具体的になすべき事柄について、山口総長は次のように解説する。
患者さんの病気についての情報を整理し、不明な点については、信頼できる情報源から情報収集をします。家族が、あまり根拠が定かでないいい加減な情報をもとに患者さんと話をすることが一番の悲劇となります。積極的な患者さんが自分の意見を持っていて、その意見に家族が疑問を持ったときには、患者さんがその考えをどこから得たのか確認します。(本書63pより)
山口総長は、自身ががんについてよく調べ、自分の考えにとりこむ患者が一昔前より増えている点を指摘している。しかし、情報源が近所の人だったり、インターネットの信頼度があやしいサイトだったりする場合は、「注意が必要」とする。ただ、家族が「そんなのダメよ」と頭ごなしに否定するのでなく、医療スタッフと連携しながら修正をはかるよう努める。
逆に、消極的であれば、できるだけ付き添うようにしたい。病院でも、1人で医療スタッフと向き合わせるのではなく、ともに話を聞く姿勢が望ましいという。
いずれにせよ、治療法などに選択肢がある場合、家族が勝手に決めるのはいけない。親が、意思決定に関与し、納得してもらうことで、「あのときに、こうしておけばよかった」という類の後悔を減らせる。
■退院しても不安がつきないときは
親が無事手術を受け、予後も良くて退院したらしたで、今度は再発の不安が頭をもたげる。特に、退院後の具合が予測と違って思わしくないと感じるが、担当医は心配ないと話している場合、「医師は嘘を言っているのではないか?」などと、不安が増してしまう。
山口総長は、退院する患者には「三三七拍子ですよ」と話しているという。これは、最初の3か月は手術の影響でかえって悪化しているように思え、次の3か月は横ばい、その後の7か月で快方に向かうという意味。実際、手術後の1年以内に再発するケースは多くないので、家族からも、「1年間は、再発の心配はあまりないんですって」と伝えておくようアドバイスしている。
また、診断から5年以上経過して無事であるのに、再発の心配をしている人は意外に多いとも。ただ特に目に見える問題がないのであれば、5年(乳がん・前立腺がんなどは10年)以降の再発は少なく、ほぼ治癒したとみなされるという。
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がん患者は、たとえ厳しい診断を下されたとしても「希望」を求めている。子として何より大事なことは、その希望を打ち消すようなことは言わないことだという。希望が持てれば、意欲もわき、その日できることに取り組めるようになるからだ。本書を手引きとしつつ、そうした「心通う対話」を念頭に、親に寄り添うようにしたい。
【今日の健康に良い1冊】
『親ががんになったら読む本』
http://shufunotomo.hondana.jp/book/b471355.html
(山口建著、本体1400円+税、主婦の友社)
文/鈴木拓也
老舗翻訳会社役員を退任後、フリーライター兼ボードゲーム制作者となる。趣味は散歩で、関西の神社仏閣を巡り歩いたり、南国の海辺をひたすら散策するなど、方々に出没している。