昨年、国民的名作「男はつらいよ」がシリーズ開始50周年を迎えた。そしていままさに、50作目にあたる22年ぶりの新作『男はつらいよ お帰り 寅さん』が話題を呼んでおり、寅さん関連書籍も相次いで登場している。
今回ご紹介する、『いま、幸せかい?「寅さん」からの言葉』(滝口悠生 著、文春新書)もそのひとつだ。「寅さん」シリーズ全49作から150以上の名セリフ、名シーンを厳選した「読む名場面集」である。
名シーンの選者は、2015年に「男はつらいよ」をモチーフにした小説「寅さん」小説『愛と人生』(第28回三島由紀夫賞候補、第37回野間文芸賞新人賞)を書いてしまったほどの「男はつらいよ」マニアとして知られる芥川賞作家の滝口悠生氏。
1982年生まれの30代なので、リアルタイム世代ではないものの、「寅さん」シリーズには幼少期から親しんでいたのだという。しかも20代からはシリーズ全作を繰り返し観続け、結果的には小説まで書き上げてしまったのだから、紛うことなき「寅さんマニア」だと言えるだろう。
そんな立場をもとに編まれた本書は当初、「名言集」「名セリフ集」にしようと考えられていた。しかし台本を読んでいくうち、あることに気づいたのだそうだ。
映像で観ると印象的なセリフでも、そのひと言だけ抜いて文字で読んだのでは、なかなかその魅力が十全に伝わらないことも多い、ということである。
当然ながらそこには俳優の声も表情もないのであって、どんな名セリフも映像で観るのと文字で読むのとでは全然違うのだ。(本書「まえがき」より引用)
もしコアなファンに向けるものであったなら、ひと言を抜くセリフ集でもいいのかもしれないだろう。だが本書は企画当初から、「コアなファンだけでなく若い人にも読んでもらえる本にすること」を方針のひとつにしていた。
だとすれば当然ながら、まだ「男はつらいよ」を観たことがない若い世代が文字だけで読んだとしても、その魅力が伝わるような言葉を選ぶ必要があったというわけだ。
そこで、本書はセリフを短く抜くのではなく、やりとりの妙を味わえる「場面」を中心に選ぶ方針を立てた。そのうえで七つの章を設け、選んだ各場面を振り分けて構成した。各場面には、必要に応じ場面の簡単な説明と、選者によるコメントを添えた。(本書「まえがき」より引用)
たとえば、こんな感じだ。第7章「満男へのメッセージ」から引用してみよう。
人間は何のために生きてんのかな?
見送りに来た満男に、参考書でも買えと千円札数枚を渡し、カバンを受け取る寅。
満男 「伯父さん」
寅 「何だ?」
満男 「人間てさ」
寅 「人間? 人間どうした?」
満男 「人間は何のために生きてんのかな?」
寅 「何だお前、難しいこと聞くなあ、ええ?」
寅、しばし考える。
寅 「うーん、何て言うかな。ほら、ああ、生まれてきてよかったなって思うことが何べんかあるじゃない、ね。そのために人間生きてんじゃねえのか」
満男 「ふーん」
寅 「そのうちお前にもそういう時が来るよ、うん。まあ、がんばれ、なっ」
(39)男はつらいよ 寅次郎物語
(本書221〜222ページより引用)
シリーズを観てきた人の多くは、これを読んだだけでさまざまなことを思い出すだろう。そして観たことのない人も、きっと興味を抱くだろう。つまり本書は、多くの人々を寅さんシリーズに向かわせるための「入口」として機能するのだ。
私も10代のころから「寅さん」シリーズの大ファンで、おそらく全作品を観てきたと思う。が、なにぶんにもかなりの時間が経過しているので、忘れていることも少なくない。
だからこそ、本書には新鮮味があった。セリフを目で追っていると、「ああ、こんな場面があったなあ」と懐かしく感じるのだ。
そしてその結果、改めて「寅さん」シリーズを観なおそうという気分にもなったのだった。それ以前に、まず『男はつらいよ お帰り 寅さん』を観なければならないのだが。
『いま、幸せかい?「寅さん」からの言葉』
滝口悠生 著
文春新書
定価:本体800円+税
2019年12月発売
文/印南敦史
作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』などがある。新刊は『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)。