取材・文/柿川鮎子
犬と猫、どちらも素敵なパートナーです。身近な動物として、ことわざや四字熟語、慣用句などに用いられてきました。手元にある辞書に載っている犬のことわざは33(狗を含めて38)、猫が98と、圧倒的に猫の方が多くなっています。
日本人が犬をペットとして飼育し始めたのは江戸時代で、それも大奥や一部の豪商などに限られていました。多くの犬は里犬として放浪していました。身近なペットという意味では猫の方に軍配が上がったのでしょう。
猫の方が人々の生活の近くにいたせいか、ことわざや慣用句の中には猫の生態に関するものも多く含まれます。特に猫の鼻が冷たいことから、
・女の腰と猫の鼻はいつも冷たい
・猫の鼻と女の尻は大暑三日(土用)の外は冷たい
・猫は土用に三日鼻熱し
など、女性の冷たい腰や尻と猫の鼻の冷たさを表現しています。
「大暑三日の外はつめたい」の大暑とは陽暦7月23日頃、1年で一番暑い時期。土用は夏の土用のことで、これも7月20日前後から8月8日頃までの期間を表し、もっとも暑い時期を指します。この暑い日々を除き、猫の鼻は女性の腰やお尻と同じように冷たい、という意味です。
鼻が冷たいというと、私は犬の鼻の方を思い出すのですが、犬の鼻が冷たいことを表すことわざや慣用句は浅学にして知りません。
猫は昔から寒がりな動物だと考えられていました。
・秋の雨が(三日)降れば猫の顔が三尺になる(伸びる)
秋や冬に雨が降ると温かくなるので、猫も喜びますね、と言い表しました。
江戸時代、長屋のおかみさん達が、秋の雨の日が続いた時に、「これで猫の顔が三尺になりますね(暖かくなって良かったですね)」と言い合ったのでしょう。なかなか洒落た言い回しだと思います。
猫の顔が「三尺になる」や「三尺伸びる」は猫が喜んでいる顔を表現していて、喜ぶとか笑顔になるという意味です。
俳句の冬の季語で、竈猫(かじけねこ)という言葉があり、冬になると猫が家の中で火を焚く竃(かまど)の中に入って暖を取っていました。猫は昔から寒がりだと考えられていたのです。灰や炭は消臭・抗菌作用もあったので、身体に着いた害虫の駆除をしていたという説もあります。
他に、よく使われる猫のことわざは、
・猫に小判
・鰹節(魚)を猫にあずける
・窮鼠猫を噛む
・猫の首に鈴
・猫っ被り
・猫の手も借りたい
・猫の子をもらったよう
・猫も杓子も
・猫の目のよう(に変化する)
などが良く使われますね。犬より猫の方が圧倒的に多いのに驚かされます。
一方、犬のことわざで、新聞記事などでもよく見かけるのが、
・犬猿の仲
・飼い犬に手を咬まれる
・犬が西向きゃ尾は東
・犬の遠吠え
・犬も歩けば棒にあたる
・犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ
・夫婦喧嘩は犬も食わない
といったところでしょう。
犬の生態に関することわざは、意外と少ないのですが、「犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ」というのは、犬を飼っている人ならば共感できる内容です。「犬猫も三日飼えば恩を忘れず」ということわざもあり、短い期間であっても、人と犬・猫の絆は深く結ばれるものです。
江戸時代の犬にまつわるスキャンダル|有名事件に登場した犬の糞では江戸時代、水上美濃守(みずかみみののかみ)正信と大久保大和守(おおくぼやまとのかみ)忠元のふたりが「犬の糞」を投げ合う大喧嘩をしたエピソードを紹介しました。当時の江戸は「伊勢屋稲荷に犬の糞」と詠まれたほど、たくさんの糞が落ちていました。
そのせいか、犬のことわざの中には糞を使ったものが存在します。
・闇(くら:暗)がりの犬の糞(くそ)
・犬の糞(ふん)で敵をとる(討つ)
です。
「闇がりの犬の糞」は、暗がりにある犬の糞は見えないように、自分が失敗しても、他人が気づかないのであれば、それを幸いとして隠してしまう、というちょっと卑怯な意味合いです。
「犬の糞で敵をとる」は、犬の糞のような気持ちの悪いモノや卑劣な手段を使って敵をやっつける、という意味です。身近に暮らしていた猫だって糞はするはずなのに、なぜか猫の糞に関することわざはひとつも見つかりません。
ことわざからも、人は犬・猫と深くかかわってきた歴史がうかがえます。ことわざや慣用句は時代によって変化し、人口に膾炙して新しく誕生するもの。次の時代の犬や猫のことわざはどんなものになるのでしょうか。
文/柿川鮎子
明治大学政経学部卒、新聞社を経てフリー。東京都動物愛護推進委員、東京都動物園ボランティア、愛玩動物飼養管理士1級。著書に『動物病院119番』(文春新書)、『犬の名医さん100人』(小学館ムック)、『極楽お不妊物語』(河出書房新社)ほか。