文・写真/陣内真佐子(グアム在住ライター/海外書き人クラブ)
グアムは今でこそ設備が充実したホテルが建ち並び、免税ショッピングが楽しめるマリアナ諸島最大の、美しいビーチのある観光地だが、ここに古代チャモロ民族が栄えた時代の深い歴史があることはあまり知られていない。
紀元前約2000年ごろ太平洋を渡って移住して来たインド・マレー系の先住民・チャモロ民族
まず、チャモロ民族とは紀元前約2000年ごろ小さなカヌーで広大な太平洋を渡って移住して来たインド・マレー系の先住民のことで、新石器時代のような生活をしていたとされている。
グアム空港から車で南へ1時間半ほど行ったところにウマタックという海と山に挟まれた人口780人程度の小さな村がある。グアムはフェルディナンド・マゼランが世界周航の途中で発見した島として有名だが、テニアン上陸説を唱える歴史学者もいる。
マゼランと共に遠征し、その様子を今日に伝えるアントニオ・ピガフェッタの航海記にも「周航中偶然、北西に小島を、南西にさほど大きくない2つの島を発見し、その島に投錨を試みた。しかし、船員が下船の準備をする度に100隻近い小さなカヌーに乗った島民が取り囲み、帆船に潜り込み装備品や小型ボートを盗んだ。そのことに酷く腹を立てたマゼランはスペイン兵を上陸させ、7人の島民を矢で射殺し民家とカヌーを焼き払い、ラドローネス=泥棒諸島を後にした」と3日間の滞在を衝撃的に著しているだけでグアム上陸の確証はない。
島民を泥棒と呼んだマゼランだが、昨今、飢餓状態にあったマゼランたちのために必死に水や食料を調達し、物々交換の風習に倣って返礼品を求めただけの彼らを虐殺し放火を命じたマゼランこそ、非道な指揮官だったのではないかという説が有力である。
帰還したマゼランから泥棒諸島発見の報告を受けたスペイン国王フェリペII世が1565年1月、諸島全域の統治命令を下し、ここから300年以上にわたる長いスペイン植民地時代が始まるのである。
今でも当時の隆盛を物語るスペイン様式の史跡を見ることができるが、1902年にグアムを襲った大地震で古都の面影を残す建物の大半が崩壊している。
チャモロ民族の間に語りつがれる「天地創造神の話」
さて、それらの歴史よりもはるかずっと昔からチャモロ民族の間には「天地創造神の話」が語りつがれている。
考古学者たちの研究によると、古代チャモロ民族の言語フィノハザ(Fino’håya)の起源は太平洋の島々および東南アジアのほぼ全域からマダガスカルにまで拡がるオーストロネシア語で、他の国々の言語同様、書面や古代の正字法はなく口頭で伝えられていたことが確認されている。
グアム以外の国々にもそれぞれ独自の天地創造の文化文明の発展につながるユニークな話があると思うが、これからお伝えするのはプンタン(Puntan)とフウナ(Fu’una)という超自然的な力を持った兄妹2人の創造神の話である。
ある日、男神プンタンは女神フウナに自分の身体でこの世界を造るよう指示を出し、彼の両眼は月と太陽に、眉毛は虹に変わり、胸は空に、背中は地球に、そして他の部位は山谷と川と海になった。フウナは彼女のもつエネルギーを駆使して太陽に光を与え、虹を七色に輝かせ、樹木や草花に命を吹き込んだあと自身の身体を海に投げ入れ「創造点・ファウハロックまたはファウハポイント(Fouha Rock / Point)」を産み出した。そしてその次の瞬間、最初の人類が誕生したとされている。
一時期、歴史学者たちの間ではスペイン統治以前のチャモロ民族間に宗教信仰文化が存在していたことが否定され、プンタンとフウナの話は「ただのお伽話」と馬鹿にされ続け、イエズス会のディエゴ・ルイス・デ・サンヴィトレス神父が天地創造の話を詳しく検証したが、彼らを神として崇める礼拝や目に見える儀式が行なわれた記録も証拠も探し出せなかったとされている。
しかし2人の創造神が造りあげた神聖な地球の話は、マガラヒ=男性リーダー(Maga’låhi)とマガハガ=女性リーダー(Maga’håga)はお互いに尊敬し合い気遣い、率先して社会に貢献する存在となり、その権力と責任は平等であるというチャモロ民族の社会文化的思想形成の礎になっている。
またキリスト教伝道のため、1596〜1597年2人のスペイン兵と共にグアムで暮らしたフランシスコ会の宣教師フレイ・アントニオ・デ・ロサンゼルスがフェリペⅡ世に宛てた書簡には「彼らは、天と地、そして我々が今見ることができるものすべてを造ったと信じる女神の岩に巡礼し、フィエスタ=村祭りを催し天地創造の話が歌と踊りを交えて語られた。そしてそこでは食事とともに農作物の種や漁具が捧げられ、五穀豊穣と大漁を祈り、清められた食事は家に病人が出た際に与えられた」と記述がある。
これらのことから、古代チャモロ民族がおそらく何世紀にもわたって2人の創造神に特別な敬意をはらい、彼ら独自の信仰文化を持っていたことを推し測ることができる。
1668年国王カルロスIIに遣わされたサンヴィトレスが宣教師団を率いて上陸し、マリアナ諸島と改名
しかしスペインの統治宣言から100年以上もの間メキシコとフィリピン間の香辛料・金塊交易航路の中継地としての役割だけを担っていたグアムは、1668年国王カルロスIIに遣わされたサンヴィトレスが宣教師団を率いて上陸したことで激変する。
そしてこの年、泥棒諸島はサンヴィトレスの支援者で国王の母マリアナ・デ・アウストリア妃の名前を戴きマリアナ諸島と改名された。
多くのチャモロ民族が宣教師団からキリストの教えを受け入れはじめた矢先、洗礼直後に幼児や老人が命を落とす事故が相次ぎ「聖水は有毒」という噂が広がり始めたその時、事件が起こった。
1672年4月、サンヴィトレスと宣教師ペドロ・カランソドが酋長マタパンの幼い娘マリアの洗礼を無断で行なったことが彼の逆鱗に触れ殺害されたのだ。
神父たちの死後、スペイン軍が宗教的植民地政策の任務を引きついだが、チャモロ民族の不満は高まり、先祖崇拝や階級制度、伝統行事の弾圧など完全服従を強いられたことから次第に反発が強まり、チャモロ・スペイン戦争が激化、それに加えヨーロッパから持ち込まれた疫病の蔓延などによりチャモロ民族は減少し続けた。また北米大陸とアジアの中間拠点で軍事戦略上重要な位置にあることから、数々の悲惨な戦争が島内外で繰り広げられ、1950年米国自治属領=準州となるまでグアムが平穏さを取り戻すことはなかった。
そして日米戦争終結後22年目の1972年、ファウハロックは国立公園局の国立自然建造物に指定され、2014年2月、何世紀にもわたって抑制され続けて来たプンタンとフウナを崇拝するこの古代エコスピリチュアルな伝統行事が現代のチャモロ文化グループ・ヒナッソ(Hinasso)と系譜学者バーナード・プンサランの手によって復活された。
古代チャモロ語で始まりを意味するフウナはチャモロ文明の最初のナナ=母(Nana)であり、ココナッツの苗木を意味するプンタンは、神々が創り出したこの地にチャモロ民族が根付いたことを表していると言われ、今日でも当時の習慣に倣いファウハロックへ巡礼する者は多く、各村々ではフィエスタが開かれ食事や歌や踊りが供されている。
また、普段は波静かで遠浅のウマタック湾にトロピカルストーム=熱帯性低気圧が近づくと外洋から大きな波が打ち寄せてくる。その大波を求め世界中からサーファーが集う岸辺は、島内に多い白い砂浜ではなく無数の黒い小石で、その中にチャモロ民族がとても大切にする黒光りする石がある。枕状溶岩の砂鉄が含まれているから光るという説があるが定かではない。フウナが休息を取りに来る岩と彼らが信じてやまないファウハロックはいまだ解明されていない多くの謎を秘めているのだ。
なお、この天地創造の話は諸説あるが、いずれの話もフウナに比べてプンタンが受動的な形で伝えられている。それは古代チャモロ民族が母系社会であったためである。
ウマタックまではグアム空港から車で約1時間半、マリンコードライブ=1号線を直進し南下して行く。首都・ハガニアまでは交通量も多く喧騒としているが、2A号線を左折し島南部に入ると見えて来る標高300メートル級の丘陵火山地帯は、ホテルが建ち並ぶ中心部とはまったく違う緑豊かな景観が拡がっている。是非セッティ湾展望台からグアムの手付かずの自然の眺望を堪能して欲しい。
そして、ファウハロックへはウマタック湾の北側で車を止め、GPA=グアム電力公社のWBP-2変電所の左側にあるハイキングコースを海岸沿いに歩いて行く。子供連れでも行ける優しいコースだが、途中サンゴ礁や石灰岩が尖っている浅瀬を歩く。また帰り道は少し傾斜のある上り坂になっているので、必ず動きやすい服装に歩きやすい靴を履いて行っていただきたい。
文・写真/陣内 真佐子(グアム在住ライター)
東京都生まれ。1996年3月からグアム在住。2005~2011年旅行会話本3冊を上梓。2010年に取得した政府公認ガイドの知識を活かし、2015年からは大手旅行情報誌サイトの現地特派員として活動をこなしながら他にも多数のグアム紹介記事の執筆や翻訳活動をしている。海外書き人クラブ会員(http://www.kaigaikakibito.com/)。