取材・文/ふじのあやこ
家族との関係を娘目線で振り返る本連載。幼少期、思春期を経て、親に感じていた気持ちを探ります。(~その1~はコチラ)
今回お話を伺ったのは、都内にある自宅で専業主婦をしている美穂さん(仮名・39歳)。千葉県出身で、母親と3歳上に姉、3歳下に妹のいる4人家族。美穂さんは姉妹の中で一番母親にベッタリ。友人よりも、母親が一人ぼっちにならないようにと、常に一緒の時間を過ごしていました。
「両親は私が小さい時に離婚をして、物心がついた頃からずっと祖父母の家で同居していました。祖父母は趣味などで外出することが多かったのですが、母親はずっと家にいて、私たちの帰りを待っていました。そんな姿が私には寂しそうに見えて、一人ぼっちにできなくて。姉や妹はお構いなしに出かけていくのを薄情だと思っていました。
私は反抗期も一度もなく、毎日母親と一緒に料理をしていたので、高校生の頃にはある程度のものは作れるようになっていましたね。その頃ぐらいからかな、母親が姉妹の中で私に対してだけ『幸せな結婚をしてほしい』と言うようになったのは」
短大卒業とともに母親の知人の仲介でお見合いがスタート
高校を卒業後に家から通える距離にある短大に進学。栄養や食物について学んだそうですが、その学校を目指したきっかけは母親からの助言だったそうです。
「特にやりたいこともなくて、強いて挙げるなら子供が好きだったので、幼稚園の先生の資格が取れるところがいいなと漠然と思っていたんです。でも、母親は大変だからやめておけと。結婚すれば家庭に入るのが当然だと思っている母親からすると資格なんて必要のないもの。私も反対を説得してまで進みたいという意志もなかった。だから母親が進める学科のある短大へ進学しました。今は結婚も選択肢のひとつという時代ですが、当時の私は結婚することが真っすぐ育つこと、母親を喜ばすことだと思っていたので、そのレールから外れるなんて考え、根本にありませんでした」
短大を卒業後に自動販売機などを扱う企業の一般事務として就職。そして、卒業と合わせて、母親と二人三脚の婚活が始まります。
「就職は祖父母の紹介で入ったところです。私の世代は就職難の時期だったんですが、何も苦労はしていません。結婚までの腰掛のつもりだったから、残業がなくて休みが多いところであればどこでもよかったので。
卒業してから母親の知人の仲介でお見合いが始まりました。短大なので卒業した時はまだ20歳でしたね。お見合いといってもドラマで見るような堅苦しいものではなく、母親が同伴することもありません。カフェでお茶をして、連絡先を交換して、誘われればもう一度会うといった流れです。会う人は全員が年上で、母親曰く『生まれや境遇がちゃんとしている人』たちです。私は家族にも異性は祖父しかいなくて、学校でもそんなに交流がなかったから男性との接し方は相手のリードがないとまったくわからなかった。別に年上がすごい好きというわけではなかったけど、一回り年上の人だと主導権は当然のように相手方になるので、気も楽だったんですよね」
【次ページに続きます】