夕刊サライは本誌では読めないプレミアムエッセイを、月~金の毎夕17:00に更新しています。木曜日は「旅行」をテーマに、角田光代さんが執筆します。
文・写真/角田光代(作家)
トイレでいちばん驚いたのは、上海を旅したときだ。繁華街の公衆トイレが「こんにちはトイレ」だった。ドアも個室もなく、溝だけが掘ってあり、そこにしゃがんで用を足すトイレだ。
それが1990年代後半。その10年後くらいに旅したときには、「こんにちはトイレ」を見ることはなかった。しかしどういうわけか、トイレに鍵を閉めない人がたいへん多かった。デパートやレストランのトイレに入ってドアを開けると、人が入っている。
こちらとしては、人が入っていれば鍵が閉まっていて開かないと思っているから、つい開けてしまうのである。そうして中で用を足している人たちは、怒るでもあわてるでもなく、「入ってるけど」というようなことを(たぶん)ごくふつうに言う。開けられること、見られることに、強い拒絶反応がないことに驚いた記憶がある。
しかし最近、このトイレをなくすべく、中国のえらい人がトイレ革命を行なうと少し前に新聞で読んだ。観光地を中心に、個室トイレに替えていくのだそうだ。
昨年(2017年)、インドを旅するほんの少し前に、たまたま、やっぱりトイレ関係のニュースを読んだ。人口に対してインドのトイレは圧倒的に数が足りないという記事だった。13億人の人口に対し、5億人がトイレのない家に住んでいるらしい。それで政府はトイレ対策に乗り出したというところまでしか、その記事には書かれていなかった。
インドはブッダガヤとバラナシのみ訪れたのだが、どちらの町でも、また移動中のバスの窓から見ていても、道で用を足す人が多いことにびっくりし、そうしてあの記事を思い出して納得した。トイレがないことがふつう(の場合もある)と知らなければ、ただトイレに行くのが面倒くさい人が多いのかと思っただろう。
そのインドの旅のさなか、私はおなかをこわした。私がもっともおそれている事態だ。トイレ事情のよくない場所で、おなかをこわす。考えるだにおそろしいその事態に陥ってしまった。
その日は慎重に観光スケジュールを組んだ。長距離バスには乗らず、おもに繁華街を歩く。おなか痛い、と思ったら、すぐにレストランやカフェに入れるような場所だけを移動する。とはいえ、思うようにいかないのがおなか事情だ。レストランも、カフェも、なんにもないようなところで急激におなかが痛くなった。
まずい、これはまずい、と私は焦って歩きまわった。こういうときは、たぶん動物的本能がトイレまで導くのだろう、今考えても奇跡のように、なんにもない町なかに駐車場があり、その隅に公衆トイレがあるのを見つけた。心の底から安堵し、奇跡に感謝しながら公衆トイレによろよろと走った。
女子トイレの個室のひとつで、女の人が洗濯をしていた。衣類の詰まったバケツを個室に持ちこんで、トイレの水でじゃぶじゃぶ洗っているのである。それどころではないから私は空いている個室に駆けこんでことなきを得た。あまりの安堵に、やっぱり洗濯する女性のことなど気に掛けずにトイレを出て町に戻った。
旅を終えてから、女性がトイレの床にしゃがんで色鮮やかな布地を洗濯していたその光景を、昼間に見た夢みたいに思い出す。
文・写真/角田光代(かくた・みつよ)
昭和42年、神奈川県生まれ。作家。平成2年、『幸福な遊戯』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。近著に『私はあなたの記憶の中に』(小学館刊)など。