文・写真/杉﨑行恭(フォトライター)
盛岡から乗ったIGRいわて銀河鉄道の下り電車は、左に岩手山、右に姫神山を見ながら牧草地の中を走っていく。下流では大河の風格だった北上川もしだいに細くなり、今では線路にまとわりつく小川のようだ。
やがて東北新幹線が接続する「いわて沼宮内」駅をすぎると、緩やかな丘陵が左右から近づいてくる。ここは23パーミルの連続勾配が続く東北本線の難所、十三本木峠の上り勾配だ。
十三本木峠はその昔、鉄道ファンが線路沿いの雪道を何キロも歩いてD51が三重連で勾配を登る列車を撮影したという、鉄道写真の聖地だ。しかし電車は何事もなかったかのように登っていく。そして坂を登りきったところに奥中山高原駅があった。
ホームに降りるとひんやりとした風が吹いていた。ここは標高427m、南に流れる北上川と八戸で太平洋にそそぐ馬淵川の分水界にして旧東北本線最高所の駅なのだ。
電車が去って、静かになった下りホームから奥中山高原の駅舎を見た。純白に塗られた壁に黒々とした大屋根が乗る大柄な木造駅舎だ。しかも軒はわずかに反って軒の両端には鳥ぶすま(本来は瓦)も突き出す。なんとなく、ふつうの駅舎を無理やり神社風にしたような感じだ。
改札口には委託の女性職員がきっぷを集めていた。駅舎に比べて待合室や旅客のスペースはとても小さい、そこには鉄道ファンが寄贈した、十三本木峠をSLが驀進する古びた白黒写真が何枚も飾られていた。
壁の写真の一枚に、制服を着たイヌの写真も飾られていた。職員の女性に聞くと、同僚が飼っていたマロンという洋犬で、以前は駅長犬として人気者だったと話す。帰ってから調べるとマロンは2009年に他界したという。
駅舎から階段を下って駅前通りに出た。人気のない駅前だが家族経営らしいスーパーマーケットがあった、店内ではお菓子から石油ストーブまでなんでも売っていた。そこから出てきたお年寄りに聞くと、「戦前は軍馬の牧場があって軍人さんもよく利用した、昭和15年ごろに駅舎を改修した」と思い出しながら語ってくれた。
しばらく駅のまわりで過ごしていたら、若者たちが駅に集まってきた。戦後になって食糧増産のために開拓地になったこの北上高地には大型農場やキリスト教関係の施設も多く、彼らは研修に来たのだという。
夕方4時30分になると駅の窓口は閉まり、初夏だというのに待合室のストーブが自動的に点火された。次の列車の乗るために跨線橋を渡るとき、下を高速で長い貨物列車が通過していった。
いまでこそ第三セクター化されたが、ここはまだ貨物輸送の大動脈なのだ。そういえば少し前までは寝台特急『北斗星』も通っていたことを思い出した。ちなみに東北新幹線は付近の地下を、山岳トンネルの長さでは国内2位の岩手一戸トンネル(25.8km)で通過している。
【訪ねてみたい名駅舎】
『奥中山高原駅』(IGRいわて銀河鉄道)
■ホーム:2面2線
■所在地: 岩手県二戸郡一戸町中山字大塚76−3
■駅開業:1891年(明治24年)9月1日
■アクセス:盛岡からいわて銀河鉄道で約45分
文・写真/杉﨑行恭
乗り物ジャンルのフォトライターとして時刻表や旅行雑誌を中心に活動。『百駅停車』(新潮社)『絶滅危惧駅舎』(二見書房)『異形のステーション』(交通新聞社)など駅関連の著作多数。