今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「才不才に惑うなどは二次的である。才なくとも才なきままに救われる道が確約されているのである。この世の多くの優れた作品が、一文不知の名もなき工人たちによって作られている事実を、どうすることも出来ぬ」
--柳宗悦
民芸運動の創始者である柳宗悦が、著書『民藝四十年』の中で語ったことばである。
「民芸」とは民衆的工芸を縮めてできたことば。名もない職人がつくり出す日常の実用的な生活道具の中にこそ真の美が宿るのだ、という考え方であった。
才能あふれる芸術家は、ほんのひと握りしかいない。しかし、そうでなくとも、誠実に職人的な仕事に取り組むことで、美しい作品を生み出すことはできる。柳はそう説いているのである。逆にいえば、己の才能不足を言い訳にせず、もっと地道に努力して仕事に向き合え、という叱咤激励ともとれる。
柳宗悦は明治22年(1889)東京生まれ。学習院高等科時代に、志賀直哉、武者小路実篤らが主導する『白樺』の創刊に最年少で加わり、アートディレクターのような役割を果たした。
その後、東洋的価値を高く評価するバーナード・リーチや、朝鮮の日用雑器の美との出会いを経て、日本にもすぐれた民芸の伝統があることを見いだした。
当時の日本人の多くが、ともすると、欧米に対して憧憬とともに強いコンプレックスを抱き、その反動としてアジア蔑視の感情にとらわれる中、柳にはそれがなかった。沖縄やアイヌの文化の独自性も、逸早く評価した。
当時の新聞にまで見られた欧米コンプレックスとアジア蔑視の傾向については、夏目漱石もある日の日記の中で次のように指摘している。
「曇。韓国観光団百余名来る。諸新聞の記事皆軽侮の色あり。自分等が外国人に軽侮せらるる事は棚へ上げると見えたり。(略)もし西洋外国人の観光団百余名に対して同一の筆致を舞わし得る新聞記者あらば感心也」(明治42年4月26日)
夏目漱石も柳宗悦も、その頃としては珍しく、公平で偏らぬ目線を持って世界を眺めていたと言えるのだろう。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。