今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「先例を以て未来を計らんとす。愚もまた甚だし」
--夏目漱石
前例がないから、できません(やりません)--お役所仕事などと揶揄される世界で、よく使われる言葉である。それでは新しい発想や取り組みが生まれるはずもないのだが、失敗を恐れ無難に進もうと縮こまってしまう。お役所に限らず、他の多くの組織でも、さらには自分自身の中でも、知らず知らずのうちにそういうブレーキを踏んでいることは少なくないのかもしれない。夏目漱石の、明治39年(1906)の『断片メモ』より。
年頭、朝日賞の受賞が決まった美術史家の辻惟雄さんは、近年高い人気を見せる江戸時代の画家・伊藤若沖のブームの火付け役といわれる。従来、異端視されがちだった若沖や岩佐又兵衛ら、奇抜な画風の絵師に着目し、著書『奇想の系譜』をまとめあげた。辻さんの中には「従来通りの日本美術史では面白くない」という思いがあり、それが原動力となったのだという。先例にとらわれず、そこを破ろうとしたからこそなしえた仕事だったといえるだろう。
ちなみに、美術愛好家だった漱石も独自の鑑賞眼から若沖の鶴の図の面白さに目を向け、小説『草枕』の中で言及している。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。