はじめに-三好吉房(弥助)とはどのような人物だったのか
2026年NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』にも登場する三好吉房(みよし・よしふさ/劇中の名前は弥助、演:上川周作)は、豊臣秀吉(演:池松壮亮)の側近として知られる武将であり、豊臣家の血脈を支える重要な存在でもありました。自身が前面に出る機会は少なかったものの、犬山城10万石を領するなど実力と信頼を兼ね備えた人物です。
この記事では、三好吉房の知られざる人物像や豊臣家との深い関係について、史実に基づいてご紹介します。
2026年NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、小一郎(演:仲野太賀)と藤吉郎の出世に伴い、侍となるひたむきな人物として描かれます。

三好吉房が生きた時代
三好吉房が活躍したのは、戦国の混乱から豊臣政権の確立へと向かう安土桃山時代。織田信長の死後、秀吉が覇権を握り、中央集権的な支配体制を築いていく激動の時代でした。
この時代は家族・縁者を通じて政権基盤を固めていく手法が重視された時代でもあり、吉房はまさにその中核にいた人物の一人です。
三好吉房の生涯と主な出来事
三好吉房の生没年は不詳です。少ない資料から、吉房の生涯を紐解いていきましょう。
豊臣秀吉の姉と結婚し、政権中枢へ
三好吉房は、豊臣秀吉の実姉・とも(のちの日秀尼《にっしゅうに》)と結婚したことで、秀吉の義兄となりました。この婚姻を通じて、吉房は豊臣家中でも特に信頼される立場を築いていきます。
吉房とともの間には3人の息子が生まれました。長男はのちに関白となった豊臣秀次(とよとみ・ひでつぐ)、次男は丹波亀山城主や岐阜城主を歴任した豊臣秀勝(とよとみ・ひでかつ)、三男は羽柴秀長の養子となり大和中納言と呼ばれた羽柴秀保(はしば・ひでやす)です。
いずれも政権の枢要を担う立場に置かれ、吉房の血筋が豊臣政権に深く根ざしていたことがわかります。

犬山城主として10万石を領す
天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いの後、吉房は尾張・犬山城主に任じられ、10万石を与えられました。これは、当時の家臣としては非常に高い石高であり、吉房の地位の高さを物語ります。
天正18年(1590)清須城(清洲城)に入った豊臣秀次とともに、尾張の国政を取り仕切ったとされます。

子どもたちの悲劇とその後
しかしながら、吉房の息子たちは、政権内の政治的な力学の中で、相次いで悲劇的な最期を遂げることになります。
・秀次は秀吉の実子・秀頼誕生により政治的立場を失い、文禄4年(1595)に高野山に追放され、切腹(享年28歳)。
・秀勝は朝鮮出兵中に病没(享年24歳)。
・秀保は若くして病死したとされる他、異説では水死説もあります(享年17歳)。
吉房自身の死没年は明らかではありませんが、こうした息子たちの非業の死を見届けた可能性も考えられます。
まとめ
三好吉房は、豊臣秀吉の義兄として家族的な信頼を得る一方で、政権運営の現場でも重要な役割を果たした人物です。
息子たちを通じて豊臣政権の中枢を担ったことからもわかるように、吉房は一族として、そして政治的にも非常に重要な位置にあった人物だったといえるでしょう。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/菅原喜子(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
HP:http://kyotomedialine.com FB
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)
『日本人名大辞典』(講談社)
『国史大辞典』(吉川弘文館)
『日本歴史地名大系』(小学館)











