蔦重(演・横浜流星)、ついに結婚。(C)NHK

ライターI(以下I):ちょっと先走ってしまうのですが、蔦屋重三郎(演・横浜流星)のお墓は東京浅草の正法寺にあります。関東大震災(1923年)までは、建立当時の墓石が残っていたそうですが、現在のものは墓碣銘(ぼけつめい)が刻まれた碑も含めて、大震災以降の復元です。

編集者A(以下A):蔦重が亡くなったのは、寛政9年ですから、西暦でいうと1797年。関東大震災は蔦重没後126年ということになりますね。さて、冒頭から蔦重の墓所の話をするのには理由があります。その墓碣銘を確認しておきたいからです。正法寺には、「喜多川柯理墓碣銘(きたがわからまるぼけつめい)」という「喜多川柯理本姓丸山、蔦屋重三郎を称す」で始まる258字の碑銘が刻まれた碑があります。ざっくり言えば、現代の「弔辞」で読まれるような内容なのですが、そこに「人となり、志気英邁、細節を修めず。人と接するに信を以てす」「柯理は産業を恢廓(かいかく)し、一に陶朱(とうしゅ)の殖に倣う」という箇所があります(原文は漢文)。「蔦重という人は、志が高く、些末なことにこだわらず、人と付き合う際には「信」を重んじる人であった」「商売を大きく広げ、陶朱公(とうしゅこう)のように富を蓄えた」といったようなことが書かれています。陶朱公とは、中国の春秋時代の越王勾践(こうせん)に仕えた政治家・范蠡(はんれい)のことです。

I:蔦重を范蠡=陶朱公になぞらえたというわけですね。

A:陶朱公については後述します。

いつの世にも「米騒動」が

I:その『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(以下『べらぼう』)第25回では、米問題に触れられました。

A:当時、全国の年貢米は大坂に集められていたのですが、幕府にとって、米価格の統制が常に難題でした。よく第8代将軍徳川吉宗は「米将軍」と称され、米価格の変動に悩まされたといいますが、1995年の大河ドラマ『八代将軍吉宗』第41回「八木将軍(「米」の字を分解してはちぼくと読ませた)」の回には、豊作で、米の値段が下落することになり、苦慮する吉宗(演・西田敏行)の姿が描かれています。「米とは頭痛の種よ。上げんと欲すれば下がり、下げんと欲すれば上がる」と吉宗が嘆くと、老中の松平信祝(のぶとき/演・西岡徳馬)が、「商人(あきんど)の空商いを封じることが肝要かと。米の定価を取り決めればすべて落着いたしましょう。豊作不作にかかわらず江戸にては一石いくら、大坂にてはかくかくと」と進言すると、もうひとりの老中松平乗邑(のりさと/演・阿部寛)が、「あこぎな商人が定価を守ると思われるか。政治は理屈ではない」と反論します。

I:「令和の米騒動」にも通じる話ですね。しかし、30年前に阿部寛さん!

A:そうした議論が続く中、心労を深めた将軍吉宗は、高熱を発して倒れ、「米は~、米は、上がったか」とうなされるのです。

I:将軍といえども、米の市場価格の動きを制御できないことを強調する場面だったんですね。

A:大河ドラマのこういう場面に接すると、昨今の「備蓄米放出騒動」も歴史の一コマであって、その渦中に我々はいるのだなと改めて感じます。

I:なるほど。

A:大河ドラマでも飢餓や米不足が描かれることがけっこうありました。1979年の『草燃える』では飢饉の中で、人肉を用いたと思われる施しの鍋を食した伊東祐之(演・滝田栄)が、いったん口に入れた肉を吐き戻すという場面が描かれました。1994年の『花の乱』でも、米不足の京都で日野富子(演・三田佳子)が私財で高値の米を購入し、「施し粥」を振る舞う場面もありました。

I:食糧不足は歴史の中で繰り返し、繰り返し起こっているんですね。

迫りくる食糧不足。(C)NHK

浅間山の噴火で世の中の潮流が変わる。次ページに続きます

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