浅間山の噴火で世の中の潮流が変わる
A:信州と上州の国境にある浅間山が噴火したのは天明3年。その年の4月上旬(旧暦)から噴火活動が活発化して、7月5日前後に大噴火となります。村落の大部分が埋没し、500名近い人々が亡くなった鎌原村の悲劇、利根川を泥流が襲い、江戸湾まで達したというのは7月の大噴火のことになります。江戸にも3cmほど降灰があったと伝えられています。
I:3cmというとそれほどでもないような感じもしてしまいます。
A:富士山の噴火を想定した気象庁の「広域に降り積もる火山灰対策に資する火山灰予測情報のあり方」によれば、降灰が0.1mm未満でも航空機が運航停止になる可能性があり、それを超えると、鉄道の運行停止、喘息の持病のある方の症状悪化、3mm以上で、降雨時に停電発生も危惧されるそうです。1cm以上で、上水道が断水するおそれが生じるそうですから、劇中の江戸の状況を現代に置き換えると、日常生活が麻痺する事態に陥るということに留意いただきたいと思います。
I:さて、こうして浅間山の降灰で視界が悪くなっている状況が描かれました。そうした中で蔦重は、吉原の古着を屋根に広げて被害を食い止めようと試みたり、降灰の後始末を「競争」で処理しようと試みます。「面白くねえ仕事こそ、面白くやんねぇと」という言葉がジーンときますね。
A:冒頭で掲げた「墓碣銘」の「志気英邁、細節を修めず」を体現する場面ではないかと思いました。一方で、高杉晋作の「面白きこともなき世を面白く」を想起させる台詞ですね。「すみなすものは心なりけり」――。やっぱり「心の持ちよう」って大切ですよね。

天明の大飢饉の甚大な被害
I:さて、噴火とくれば、です。
A:すでに奥羽では前年から冷害により不作でしたが、浅間山噴火によってさらなる大飢饉に襲われます。本編では触れられないかもしれませんが、弘前藩などは領内の3分の1の人々が餓死したといわれるなど、北方各藩は甚大な被害を記録します。地元の自治体史には、飢えから逃れるために人肉を食したことにも触れられたりしています。当初は、亡くなった人の肉を食したそうですが、やがて、生きている人間を殺して奪い合うようになったという戦慄の記録もあります。私たちは、本当の飢えの恐ろしさを知らないのかもしれません。
I:劇中でも触れられていましたが、浅間山噴火の噴煙は、成層圏まで達したと考えられています。浅間山同様に、火山と米不足という観点でいえば、1993年の冷夏不作による米不足は、その2年前におきたフィリピン・ピナツボ火山の大噴火の噴煙が成層圏まで達した影響といわれていますから、火山の噴火おそるべしです。
A:研究者の間では、この浅間山噴火の噴煙の影響で起こった農作物の不作によって、フランス革命が起こったともいわれていますから、劇中の浅間山噴火の場面は、世界史にも影響を与えていたということになります。
貞によって語られた「陶朱公」

I:貞(演・橋本愛)が『史記』の陶朱公のことがかかれている一節に目を通していました。その上で、蔦重に対して、「陶朱公とは、移り住んだ土地を富み栄えさせる人物」だと説明していました。
A:貞が陶朱公のことを持ち出してきた背景には、冒頭で触れた、蔦重の墓碣銘があったということになりますが、絶妙な使い方ですよね。このふたりのやり取りに墓碣銘に刻まれた内容をもってくる。ちなみに墓碣銘は、蔦重と親しかった国学者の石川雅望の筆によるものです。
I:狂名「宿屋飯盛(やどやのめしもり)」ですよね。「国学者石川雅望」と「狂名宿屋飯盛」が同一人物っていうのも、なんだか深いですね。この人物を演じるのが又吉直樹さんと発表されました。そういえば、宿屋飯盛いないなって思っていたんですが、出ないわけがないですもんね。
A:さて、范蠡は引退後に商売の世界に転じて成功し、大富豪になったといわれています。日本でも名臣として、商売上手な人物として人気だったようです。『太平記』には、後醍醐天皇の忠臣児島高徳が桜の木に「天勾践(こうせん)を空しうすること莫れ、時に范蠡(はんれい)の無きにしも非ず」と、「きっと范蠡のような忠臣が表れて、後醍醐天皇をお助けするでしょう」という意味の漢詩を残したという逸話で有名です。
I:このエピソードは、明治以降、文部省唱歌となって歌われるんですよね。
A:范蠡=陶朱公はそれだけ有名人だったということです。
日本人と琥珀

I:さて、誰袖(演・福原遥)の吉原周辺では、松前藩の藩主道廣(演・えなりかずき)、弟で家老の廣年(演・ひょうろく)兄弟との間で「ロシア」「抜け荷」「琥珀」というワードで物語が展開しています。
A:このころの帝政ロシアの皇帝はエカテリーナ2世になりますが、有名なのがすべての装飾を琥珀で彩った宮殿内の一室「琥珀の間」。徳川将軍の居城「江戸城」には、そのような贅を尽くした部屋など存在しません。もちろん京都の朝廷にもそんな部屋はありません。そして、劇中では、ロシアから琥珀を手に入れようとするわけですが、日本にも「琥珀」の有名な産地があったことも忘れてはいけません。奥州の南部藩ですね。領内の久慈周辺は琥珀の世界的産地。2013年の朝ドラ『あまちゃん』で琥珀堀りの「勉さん」という登場人物がいたことをご記憶の方も多いかと思います。久慈周辺は、古墳時代から琥珀の産地だったようです。久慈市には、いまも「琥珀博物館」が存在しています。久慈市から約50kmの位置には大谷翔平選手が「世界一」と公言した岩泉ヨーグルトの岩泉町があり、岩泉町には、龍泉洞、安家洞という日本有数の鍾乳洞があります。どんなに猛暑の日でも洞内の気温は10度前後の涼を得られるという夏向きのスポットですね。
I:脱線著しいですが、なんだか、琥珀博物館と龍泉洞、行きたくなりますね。
A:さて、天変地異の後には、時代の潮流が大きく動くことがあります。浅間山の噴火の後も例外ではありません。いったいどのような変化が蔦重たちの身辺に迫って来るのでしょうか。

●編集者A:書籍編集者。『べらぼう』をより楽しく視聴するためにドラマの内容から時代背景などまで網羅した『初めての大河ドラマ~べらぼう~蔦重栄華乃夢噺 歴史おもしろBOOK』などを編集。同書には、『娼妃地理記』、「辞闘戦新根(ことばたたかいあたらいいのね)」も掲載。「とんだ茶釜」「大木の切り口太いの根」「鯛の味噌吸」のキャラクターも掲載。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。猫が好きで、猫の浮世絵や猫神様のお札などを集めている。江戸時代創業の老舗和菓子屋などを巡り歩く。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり
