はじめに-三淵藤英とはどのような人物だったのか

2026年NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』にも登場する三淵藤英(みつぶち・ふじひで、演:味方良介)は、足利義昭(演:尾上右近)や明智光秀(演:要潤)、そして弟・細川藤孝(演:亀田佳明)の陰に隠れがちな人物です。けれど、その足跡をたどると、室町幕府の最終局面でかなり重要な位置にいたことが見えてきます。

13代将軍・足利義輝が暗殺されたあと、藤英は藤孝とともに義輝の弟・覚慶(のちの足利義昭)を救い出し、幕府再興の動きに深く関わりました。義昭が将軍になると幕臣として支えます。

ところが、義昭と信長が対立すると、弟の藤孝は信長方へ、藤英は義昭方へと進み、兄弟は別々の道を歩むことになります。

華々しい天下取りの主役ではないかもしれませんが、滅びゆく幕府に最後まで寄り添った武将として、三淵藤英の生涯はもっと注目されてもいいでしょう。

『豊臣兄弟!』では、義昭に献身的に仕える人物として描かれます。

三淵藤英
三淵藤英

三淵藤英が生きた時代

三淵藤英が生きたのは、室町幕府の権威が大きく揺らぎ、戦国大名たちが畿内の政治に深く介入していく時代でした。

永禄8年(1565)には13代将軍・足利義輝が三好三人衆らに暗殺され、幕府は大きく傾きます。その中で、義輝の弟・覚慶(義昭)を擁立して幕府を立て直そうとする動きが始まり、やがて織田信長が義昭を奉じて上洛。15代将軍として幕府が再興されました。

しかし、その再興は安定したものではありませんでした。義昭と信長の関係は次第に悪化し、畿内では三好氏、一向一揆、池田氏らが入り乱れ、戦いは絶えません。藤英の生涯は、まさにこの「室町幕府を立て直そうとした最後の時代」と重なっています。

三淵藤英の生涯と主な出来事

三淵藤英の生没年は不詳です。その生涯を、少ない資料から出来事とともに紐解いていきましょう。

足利家庶流に連なる家に生まれる

三淵藤英は、三淵晴員(みつぶち・はるかず)の子として生まれました。三淵家は足利家の庶流で、祖は足利義満の子・持清だといわれています。

また、細川藤孝は異母弟だといわれています。のちにこの兄弟は、ともに義昭擁立に動きながら、最後には別々の立場につくことになります。

「藤」の字は、足利義藤(あしかが・よしふじ、のちの義輝)から偏諱(へんき)を受けたものとされ、将軍家との結びつきの深さもうかがえます。

細川藤孝
細川藤孝

義輝暗殺後、覚慶(義昭)救出に動く

永禄8年(1565)5月、13代将軍・足利義輝が三好三人衆らに暗殺されると、末弟の覚慶(のちの足利義昭)は奈良に幽閉されます。

このとき藤英は、弟の細川藤孝とともに覚慶を救い出します。その後、越前(現在の福井県北部)の朝倉義景(あさくら・よしかげ)を頼り、さらに織田信長に支援をお願いする動きの中で、藤英も重要な役割を果たしたとみられます。

足利義昭
足利義昭

義昭が将軍になると、重臣として幕府を支える

永禄11年(1568)、義昭は織田信長に擁立されて将軍になります。

その後も藤英は、軍勢を率いて和田惟政(わだ・これまさ)らとともに三好氏との戦いに参加し、一方で政治面でも手腕を見せ、義昭の重臣となっていきます。

和田惟政
和田惟政

和田惟政の死後、高槻城へ入る

元亀2年(1571)8月28日、摂津(現在の大阪府北西部と兵庫県南東部)高槻城主の和田惟政が池田知正に敗れて戦死すると、高槻城は中川清秀・荒木村重・松永久秀らの攻撃にさらされます。

翌年には、幕府方の三淵藤英、信長方の佐久間信盛らの政治的援護、さらに明智光秀らの軍事援助によって、ようやく池田方を退けたといわれています。

和田惟政の死後、高槻城には藤英が後任として入りました。

弟・細川藤孝との決裂

義昭と信長の対立が深まると、弟・藤孝が義昭を離れて信長方についたことを、藤英は強く憤ったと伝えられています。

同じ義昭擁立に動いた兄弟が、ここで決定的に袂を分かったことは、藤英の立場を考える上で象徴的な出来事です。

藤英は最後まで幕府方に立ち続け、藤孝は新しい権力へと移りました。その違いが、兄弟の運命を分けたのです。

槇島城の戦いと、室町幕府の終焉

元亀4年(1573)4月、義昭が信長に対して挙兵すると、藤英もこれに従います。その後いったん講和しますが、同年7月1日、義昭は山城国(現在の京都府南部)の槇島城(まきのしまじょう、現在の京都府宇治市槇島町)に立てこもって、信長に対抗しました。

『信長公記』によると、槇島城は「城郭においては是に過ぎたる御構へこれなし」とあることから、相当な構えをもっていたと考えられます。

しかし、信長軍は宇治川を渡って攻め寄せ、城はわずか一日で開城。ここに、室町幕府は15代、238年で崩壊しました。

義昭は顕如(けんにょ)の斡旋で河内国(現在の大阪府南東部)の若江へ移りましたが、藤英はこの一連の争乱の中で信長に敗れ、自害したといわれています。

遺された子・光行

藤英の子である三淵光行(みつぶち・みつゆき)は、父の死後、叔父の細川藤孝に育てられ、その後徳川家康に仕えたと伝わります。

兄弟は戦乱の中で敵味方に分かれましたが、藤英の血筋は、皮肉にも藤孝のもとで守られていくことになりました。こうした点にも、戦国の複雑さがにじむところです。

まとめ

三淵藤英は、まさに「義昭の人」として生きた武将でした。義昭と信長の対立が決定的になると、弟・細川藤孝が信長へと移る中、藤英は最後まで義昭方に立ち続けました。

その意味で藤英の生涯は、「勝者についた人物」ではなく、「滅びゆく幕府に殉じた人物」だといえるのかもしれません。

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

文/菅原喜子(京都メディアライン)
肖像画/ぐう(京都メディアライン)
HP:http://kyotomedialine.com FB

引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)
『日本人名大辞典』(講談社)
『国史大辞典』(吉川弘文館)
『日本歴史地名大系』(平凡社)

 

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