自他ともに認める「蘭癖大名」の島津重豪(演・田中幸太朗)。(C)NHK

ライターI(以下I):『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(以下『べらぼう』)第20回では、島津重豪(しげひで/演・田中幸太朗)が登場しました。

編集者A(以下A):島津重豪は、幕末の薩摩藩飛躍の祖ともいえる大大名。「重」の字で分かるように第9代将軍家重の「重」の字を賜っています。大河ドラマ『べらぼう』にこの段階で、島津重豪が登場する流れにしびれますね。

I:重豪がなぜ一橋治済(演・生田斗真)の屋敷にいるのでしょうか。

A:重豪の正室は、一橋家初代宗尹(むねただ、吉宗の四男)の娘保姫。治済は重豪の義兄ということになります。そういう関係の中で、重豪は治済のもとに伺候して、重豪の娘の茂姫を一橋家の豊千代(後の第11代将軍家斉)に嫁がせようという展開になっているわけです。

I:なるほど。『べらぼう』劇中では、一橋豊千代と重豪の娘茂姫の婚姻は、「浄岸院(じょうがんいん)の遺言」と説明されました。「将軍家の養女」であり、「八代将軍吉宗最愛の女性」といわれる女性ですね。

A:ここ、ほんとうに日本の歴史の重要ポイントですので、深掘りしたいと思います。重豪の娘と一橋家の婚姻を遺言したという浄岸院は、重豪の祖母にあたります。これ、没後の号名「浄岸院」だとわかりにくいのですが、竹姫といえば思い出す方もいるかもしれません。30年前の大河ドラマ『八代将軍吉宗』では森口瑤子さんが演じた姫君です。

I:竹姫覚えています。大河史上もっとも美しい姫君として私の記憶に刻まれています。たしか、第5代将軍綱吉の側室のひとり大典侍(おおすけ)が、綱吉との間に子ができなかったため、京の貴族の娘を養子にしたいといいだして、綱吉の養女として京から江戸に来た女性ですよね。

A:そうです。この竹姫の存在があって、島津家と将軍家の絆が深まり、日本の歴史に重要な足跡を残します。『八代将軍吉宗』では、竹姫と縁談がまとまった大名や宮家が相次いで夭逝したこと、吉宗と竹姫が密会したこと、その経緯が懇切丁寧に描かれました。

I:江戸城内で吉宗と竹姫が密会して、「道ならぬ道と人は申します」「誰にもやりとうない」という会話が交わされたんですよね。

A:はい。正室のなかった吉宗は、竹姫を正室にと考えたこともあったようですが、竹姫は第5代将軍綱吉の養女。系譜上、吉宗の大叔母にあたり、思いはかなえられなかったといいます。そこで、吉宗は竹姫にみあった嫁ぎ先を探すわけです。『八代将軍吉宗』では、加賀前田家に断られた場面まで挿入されました。そして、最後に白羽の矢が立ったのが、島津家当主の継豊(つぐとよ)だったのです。島津家は、すでに継豊には側室の間に息子がいるなどと断ろうとしますが、吉宗に押し切られてしまいます。

I:人物叢書『島津重豪』(吉川弘文館)によれば、薩摩藩の記録には竹姫が「不器量」だったという記述もあるようですね。

A:竹姫との婚姻はいやいや受け入れたのがわかりますが、それがどうでしょう。薩摩藩と徳川家の絆が深まり、『べらぼう』劇中では、一橋治済と島津重豪が義兄弟の関係で密議を交わしているわけです。

I:まさに、吉宗の時代に撒かれた種が、開花しつつあるということですね。歴史の流れって凄い! 

さらに重要なのが、島津重豪が優秀だったこと。次ページに続きます

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