取材・文/ふじのあやこ
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昭和、平成、令和と時代が移り変わるのと同様に、家族のかたちも大家族から核家族へと変化してきている。本連載では、親との家族関係を経て、自分が家族を持つようになって感じたことや、親について、そして夫や妻、子どもについて思うことを語ってもらい、今の家族のかたちに迫る。
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終活の情報メディア「終活瓦版」を展開する株式会社林商会は、老後の過ごし方に関する調査(実施日:2024年11月19日〜2024年11月22日、子どものいる40代以上男女200人、インターネット調査)を実施。アンケートにて、「老後にやりたいことは?」との問いに対し、最多は「趣味・娯楽」で139人、ついで「運動・体づくり」が104人、「生前整理・終活」が65人だった(複数回答)。反対に、「これだけは決してしたくない」と思う老後の過ごし方を聞くと(自由回答)、「病気になって自由を失うのが怖い」「ダラダラした生活を送るのは嫌だ」「老後まで働き続けるのは耐えられない」「お金に困らない老後を願う」「孤独な生活に恐怖を感じる」のような回答が寄せられていた。
今回お話を伺った円佳さん(仮名・45歳)は、両親が熟年離婚をしていた。そのきっかけになったのは、仕事を引退したことによりずっと顔を合わせるようになったからではなく、定年後にプレゼントしたタブレット端末が原因だった。
父親は何をするにも母親の意見を一番に尊重していた
円佳さんは、両親と4歳上に兄のいる4人家族。両親はとても仲が良かった。父親は優しく、何をするのにも母親の意見を取り入れていたという。子どもと母親の意見が割れたときにも、父親が味方に付くのは母親のほうだった。
「私たち子どもにも父親はもちろん優しいんですけど、私たちが母親から怒られたときには『お母さんの言われた通りにしたほうがいい』と諭されることが多かったです。父親にゲーム機とかを買ってほしいとおねだりしても、『お母さんに言っておいで』と言われるだけ。小さい頃はそんな父親が情けなく見えることもありましたが、その優しさがあったから、両親の関係は長く良好だったんだと思います」
一方の母親は、喜怒哀楽をストレートに表すタイプだった。独り言の声も大きく、他の家族3人は母親の機嫌に左右されていたという。
「母親は一度怒ると暴言を吐いたり、無視をしたり、そんなことがしょっちゅうでした。でも、機嫌がいいときもわかりやすくて。買ってほしいものがあれば、機嫌がいいときを狙ってお願いすればいいんだって小さい頃から学習していましたね。兄と私は、母が怒っているときは部屋に籠るようになっていました。母親の怒りを収めるのは、父親の役目だったんです」
兄は大学進学とともに、円佳さんは就職を機に実家を離れた。2人暮らしになった両親は早々に実家をリフォームするなど、2人暮らしを満喫しているようだった。
「兄が出て行ってすぐに兄の部屋が父親の部屋になって、そこから2人は一緒に寝なくなりました。それまでの寝室は一緒で、キングサイズぐらいの大きなベッドに2人で寝ていたんですが、父親のいびきが酷くて母親から寝室を分けることを提案したみたいです。
そして、私が出て行った後には、私の部屋とリビングルームをぶち抜いて20畳くらいの部屋にリフォームしていました。母親は私が中学生に上がったときから仕事に復帰していて、お金にも余裕があったみたいで、家具を新調したり、最新家電を導入したりしていましたね」
【仕事を引退した両親に、今までの生活水準を保ってもらいたかった。次ページに続きます】
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