ライターI(以下I):『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(以下『べらぼう』)第5回では、平賀源内(演・安田顕)が現在の埼玉県秩父市中津川にある鉱山でひと悶着おこしていました。
編集者A(以下A):源内が中津川で鉱山開発に従事していたこと、それがうまくいかなかったことは史実です。山師ともいわれますが、あてずっぽうでやっていたわけではなく、中津川の鉱山は、明治に入ってから本格的に開発が行なわれ、昭和に最盛期を迎えたそうです。鉄や鉛、亜鉛などを産出して、昭和の時代には年に50万トンの金属を産出したと伝えられています。しかも、閉山したのはなんと令和に入ってから。最後は結晶質石灰石を産出していたといいます。
I:源内がでたらめなことをやっていたわけではないってことですね。源内の時代から現代にもつながるエピソードだったんですね。
A:現代につながるといえば、江戸の金策に戻った源内が蔦重(演・横浜流星)らと蕎麦屋で蕎麦をたぐっていました。蔦重のころには、蕎麦屋の看板を掲げる店が多くなっていたようです。
I:「うどん屋で蕎麦を出す」形態から蕎麦を看板に掲げるということに進化したということですね。これも現代人にとっては身近な話題でしょう。
A:ところで、中津川の鉱山の船頭役で元プロレスラーの佐々木健介さんが登場しましたね。スリーパーホールドと思われる「技」を仕掛けていましたね。
I:せっかくの機会ですから妻の北斗晶さんにも登場してほしかったなぁ。
A:ほんとうですね。“元”も含めたプロレスラーでいえば、1991年の『太平記』にはストロング金剛さんが旅芸人一座の一員として、1996年の『秀吉』では大仁田厚さんが蜂須賀小六役で出演していました。
I:2017年の『おんな城主 直虎』に龍雲丸一党の一員として真壁刀義さんが出ていたのも忘れてはいけません!
明治維新90年前の重要なやり取り
I:平賀源内が田沼意次(演・渡辺謙)に五百両融通してほしいと懇願し、意次はその要請に応じます。ざっくりいえばいまの5000万円ほどの金額でしょうか。
A:源内と意次は昵懇の間柄であったといわれていますから、実際にこんな場面があったのかもしれません。そして、重要なのは、この席で交わされたやり取りです。
I:意次は、あくまで経済重視という感じで、ふたりのやり取りから,商業重視政策を揶揄する名門のお偉方に対する不満を吐露する流れになりました。
A:ここで源内は「四方八方国を開いちまいたいですね」といい、最終的にふたりの会話は今国を開いても軍備が整っていないことに嘆息します。ここは、意次の問題意識に触れた歴史の分水嶺を描いた重要な場面かと思われます。今後描かれると思いますが、意次は蝦夷地に関心を寄せるロシアなどの情勢にいち早く敏感に反応し、蝦夷地の調査を命じたりしていますからね。
I:経済重視の政策もどんどん推進しようとしていたんですよね。
A:そうした政策が「名門のひとたち」の気に障ったということになります。名門の人たちは、神君家康公以来奨励されてきた朱子学を重視して、武家が商いにのめりこむということをよしとしなかったということですから、彼らが源内と意次のやりとりを聞いたら驚愕したのではないでしょうか。
I:私はこの場面を見て、大河ドラマの王道としては、意次を主人公にするのもありだったのでは? と感じている人もいるのかなと思ったりしました。
A:確かにそういう人はいるかもしれません。でも、それだと並みのドラマになっちゃうんですよ。例えば、平安時代や鎌倉時代、あるいは戦国時代の大河ドラマで、実在した市井の人がメインキャラクターで登場する余地があるでしょうか。
I:『黄金の日日』(1978年)で、商人の呂宋助左衛門が主人公になった例はありますが、なかなか難しい展開ですよね。
A:つまり江戸中期は、市井の実在の登場人物で物語を展開できるほど、社会が熟成して、エネルギーに満ち溢れた時代になっていたということでしょう。田沼意次政権が醸成した自由で闊達な空気の中で蔦重は躍動していく。『べらぼう』の見どころは、そうした時代の空気が政権交代によって激変し、蔦重たちのビジネスが翻弄されていくところです。
I:現代の私たちでも幹部が交代すると職場の雰囲気が激変することがあります。市井の人々の視点から政権交代による潮流の変化が描かれる。これは確かに今までの大河ドラマにはない視点です。
A:もう少し先の話になりますが、意次が失脚すると、一部を除いて、意次の政策は否定されます。まるで米国のトランプ大統領がバイデン政権の政策のほとんどを覆したような感じでしょうか。現代の日本ではそうした変化は選挙の結果であって、自分たちが選択したということになりますが、蔦重の時代の人々にとっては、「お上の都合」でしかないですからね。
プリンスや御曹司をありがたがる社会
I:そして記憶にとどめておきたいのは、田沼意次と平賀源内のやり取りのおよそ90年後に明治維新が訪れることです。私は、意次と源内のやりとりを聞いて、もし意次による政権が続いていたら、幕府の手による維新が実現したのではないかと感じてしまいました。
A:ものすごい飛躍ですが、そんなことまで想像してしまったのですね。まあ、確かに田沼政権後は、意次の時代ほど「商業重視」という政策はなくなります。おもしろいのは、その一方で、薩摩藩などは密貿易でどんどん財をたくわえていくということになるということではないでしょうか。後に薩摩藩の財政を改革する調所笑左衛門(ずしょしょうざえもん)は安永5年(1776)に生まれています。
I:まさに蔦重の時代ですね。
A:さきほど時代の分水嶺といいましたが、明治維新までおよそ90年。ペリー来航まで70数年というなかで、薩摩は軍備を整えることができる財を築いていき、幕末には大差がついたということになるのでしょうか。
I:実際は中級藩士の出ですが、名門の人々から「足軽上がり」と陰口をたたかれた田沼意次。一方で「吉宗の孫」という毛並みの良さを誇る賢丸(演・寺田心/後の松平定信)の権力闘争からも目が離せません。
A:プリンスだの御曹司だの毛並みの良い政治家をありがたがる風潮はいまも残っていますからね。いずれにしても当時の幕府は、田沼を失脚させて、名門松平定信に政権を委ねます。教科書では「寛政の改革」を主導したと書かれていますが、その政策は「幕府の延命策」でしかないという側面もありますし。
I:おもしろいのは田沼意次の政策が「改革」と評されていないところですね。じゅうぶん改革に値する政策を実行しているかと思ったりするのですが……。
A:何がどうしてそうなったのか。『べらぼう』でその流れが描かれていくわけです。「明治維新とは何だったのか」――。田沼と蔦重の時代がその分水嶺だったような気がしてなりません。
●編集者A:書籍編集者。『べらぼう』をより楽しく視聴するためにドラマの内容から時代背景などまで網羅した『初めての大河ドラマ べらぼう 蔦重栄華乃夢噺 歴史おもしろBOOK』などを編集。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。猫が好きで、猫の浮世絵や猫神様のお札などを集めている。江戸時代創業の老舗和菓子屋などを巡り歩く。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり