文/印南敦史
過去に栄えた文明の跡を訪ねるもよし、街角で生きる人々のパワフルかつダイナミックな姿に触れるもよし……と、アジアの旅は楽しみ方もいろいろ。しかし、そこにもうひとつ、「ホテルを楽しむ」ことを加えたい。
19〜20世紀初頭にヨーロッパ諸国の進出を経験しているアジアは、彼らの統治下に置かれた歴史を持っている。すでにそこから半世紀を経ているが、当時の宗主国の意匠が施されていたり、ヨーロッパの人々の手によって建てられたホテルなどが、各地に現存しているのである。
アジア由来のものとは違い、それでいて本国のものとも違う独特の雰囲気が魅力。植民地支配の名残ともいえるが、その美しさから多くの観光客を引きつける憧れのスポットとしても愛されているのだ。
そこで今回は、ぜひとも一度は泊まってみたいアジアの名門ホテル4軒を、ワールド航空サービスのツアー担当、乗田さんのセレクトでご紹介しよう。
1:イースタン&オリエンタル(マレーシア、ペナン)
1869年にスエズ運河が開通し、さらに蒸気船が発明され、アジアへの移動が容易になり、人の流れが大きく変わった。そんななか、アジアでのホテル開発に可能性を見出したのが、シンガポールのラッフルズホテルを手がけたことで知られるアルメニアのサーキーズ4兄弟だった。
かくして1885年、次男のティグランが、アジアの交易の要衛として栄えていたペナンに開業したのがイースタン&オリエンタルである。アジアで最も有名なクラシカルホテルとして知られる。
100室以上の客室のうち、40部屋には温水も出る浴室を配置。海岸沿いに建てられた270メートル以上の大きなホテルは、当時世界一の長さを誇った。
ヨーロッパの最高級ホテルに学んで建設され、のちに「スエズ運河以東で最上のホテル」と評価されることになった。1996年に一度閉鎖されたが、改装後の2001年に再開され、ラッフルズと双璧をなすコロニアルホテルとして現在も名を馳せている。
2:ストランド(ミャンマー、ヤンゴン)
ミャンマーの旧首都ヤンゴンに位置する「ザ・ストランド」は、1901年に英国人によって開業され、そののちサーキーズ兄弟がオーナーとなった由緒あるホテル。ヤンゴン河畔の一等地に建てられており、かつては蒸気船に乗ってたどり着いた英国の紳士淑女が、夜ごと舞踏会を開いていたのだという。
文豪サマセット・モームが長期滞在し、劇作家のジョージ・オーウェルがこのホテルのバーをこよなく愛したことでも有名。第二次大戦中には、日本の帝国ホテルが所有していたという歴史もある。
1993年には、全室スイートのブティックホテルに。さらに、ミャンマー産最高級のチーク材を駆使し、由緒あるストランド風情を残しつつも21世紀にふさわしい内装に生まれ変わっている。
3:マンダリンオリエンタルバンコク(タイ、バンコク)
タイのみならず、アジアを代表するホテルとして有名。チャオプラヤ川のほとりにあり、隣にはシャングリ・ラ ホテルが、対岸にはペニンシュラ・ホテルが建っているという絶好のロケーションである。
一度は火事に遭ったものの、1876年にイタリア人建築家の手によって生まれ変わることに。そののち、ミュージカル『王様と私』の王太子のモデルであるチュラーロンコーン王がいたく気に入り、ロシアのニコライ二世の滞在先にも選ばれ、タイ王室がひいきにする宿となった。
なお、ここも第二次大戦中には、日本の帝国ホテルによって運営されていたことがある。
宿泊者名簿には、サマセット・モーム、J・オセフ・コンラッド、ジョン・ル・カレなどの作家から、オードリー・ヘップバーンやエリザベス・テイラーなど要人の名前がズラリと並ぶ。
4:セタパレス(ラオス、ビエンチャン)
フランス領だったラオスの首都ビエンチャンを代表する「セタ・パレス」がオープンしたのは、1932年のこと。しかし1975年のラオス人民民主共和国成立時に、オーナーのフランス人一家は帰国。ホテルだった建物は国有化されたが、オーナー一家の息子と母が17年後に再び訪れ、5年の歳月をかけて復元した。
こうして1999年に再オープンして以来、ビエンチャン指折りのホテルとして多くのゲストを迎えてきた。家庭的な温かいもてなしも魅力のひとつで、仏領時代を思わせるような上品な空間は、ラオスでしか味わうことのできない極上の時間を彩ってくれる。
以上、ぜひとも泊まってみたいアジアの名門ホテル4軒をご紹介した。
日本からは比較的訪れやすいアジアだが、その本質を知るためには、やはり名門ホテルに泊まってみるべきだ。長い歴史の蓄積が、他のツアーとはまったく違う満足感を与えてくれるであろう。
文/印南敦史
画像提供/ワールド航空サービス