鎖国が解かれると、未知なる地に希望を抱き、やって来た多くの外国人。彼らが気づき、広めようとしたニッポンの魅力とは。
日本人がレジャーやスポーツとして山に登るようになったのは、ここ100年余りのこと。江戸時代以前も登山者はいたが、それは信仰や狩猟のためであった。ヨーロッパでも、登山の目的は鉱物採集など生活の糧を得ることが主であったが、18世紀後半にアルプスの未踏ルートをめざす冒険的登山が流行。そのスタイルを体得し、1888年に来日したのが英国人の宣教師、ウォルター・ウェストンであった。
ウェストンは計3回、14年余りの日本滞在中に富士山や日本アルプスなど全国の山に登頂。その記録を『日本アルプス 登山と探検』として1896年に刊行。世界中に日本アルプスの名前を知らしめた。ちなみに、飛騨山脈を「日本アルプス」と命名したのは御雇外国人のウィリアム・ガウランドであったが、ウェストンがその名を書名に使ったことから有名になったといわれる。
日本山岳会の創立を進言
そんなウェストンの著作を偶然、読んだのが若き登山家・岡野金次郎だった。岡野は1902年に、山仲間の小島烏水と槍ヶ岳に登った。これは日本の近代登山史上、画期的な記録だが、彼らは自分たちよりも先に、外国人であるウェストンが登頂していたことに驚いた。そこで岡野と小島はウェストンを訪ね、世界各国で山岳会が組織されていることを知る。
ウェストンの勧めもあり、小島は、1905年に山岳会を結成(後に日本山岳会と改称)。5年後、同人の全会一致でウェストンが名誉会員に推薦された。なお、初期の会員には島崎藤村、田山花袋、島木赤彦、柳田国男、小山内薫といった作家も多く、登山が当時の文化人から注目されていたことがうかがえる。
日本山岳会の創立に深く寄与したウェストンは、帰英後に知った関東大震災の支援活動に率先して参加。満州事変後は日本を擁護するため講演をして回った。
日本人と日本の山を愛し、「楽しみとしての登山」を広めたウェストンは「日本近代登山の父」と呼ばれ、1937年に勲四等瑞宝章を授与された。そうした偉業を称え、長野県の上高地にはレリーフが設置され、毎年6月の第1日曜日に「ウェストン祭」が開かれている。
大町山岳博物館
長野県大町市大町8056-1
電話:0261・22・0211
開館時間:9時〜17時(入館は16時30分まで)、12月〜3月は10時〜16時(入館は15時30分まで)
休館日:月曜、祝日の翌日ほか
入館料:450円
交通:JR大糸線信濃大町駅から徒歩で約25分
取材・文/大関直樹 撮影/加戸昭太郎、渡辺幸雄 写真提供/松本市立博物館
※この記事は『サライ』本誌2024年7月号より転載しました。