文/鈴木拓也
新年を迎えて行われる伝統行事の1つに「書き初め」がある。
その歴史は古く、平安時代にまで遡る。ルーツとなったのは、宮中における「吉書の奏(きっしょのそう)」という行事。改元や年始のおり、官僚らが慶賀の言葉を連ねて天皇に上奏したのが始まりとなる。その後の鎌倉・室町時代に、「吉書初め」という新年の儀礼行事として定着。江戸時代に入ると庶民の間にも広まり、そして現代に至る。
こうした書道にまつわる話を、様々な視点から解説した書籍『世界のビジネスエリートを唸らせる 教養としての書道』(自由国民社)を著したのは、書家の前田鎌利さん。
前田さんは、書道塾「継未-TUGUMI-」を展開するほか、企業・団体のスローガンを揮毫(きごう)したり、海外で個展を開くなど多方面で活躍している。多忙な身のなか本書を上梓したのは、「書道の奥深さと幅広さを知っていただくことで、日本文化を表現し、語れるスペシャリストになっていただきたい」という思いから。では、その教養としての書道とはどのようなものなのだろうか。その一部を紹介しよう。
墨は何からできている?
墨は、硯(すずり)を水で磨って生み出すが、その原料は煤(すす)、膠(にかわ)、香料だという。
煤は、赤松の枝・皮や菜種油などを燃やした際にできるものを使う。その煤は粉末なので、牛などの獣皮を原料とした膠で固め、臭いを消すために樟脳といった香料を加えている。
現代の書道の授業では、時短のため墨汁を用いることが多いが、その原料も煤と膠である。ただし、素材は昔ながらのものとは異なっている。例えば煤の原料は、石油採掘時に噴出する天然ガスの不完全燃焼でできたカーボンブラックが使われることが多いという。
日本における墨の歴史は奈良時代にまで遡るが、墨汁が登場したのは比較的最近のこと。前田さんは、墨汁が誕生した経緯を次のように解説する。
墨汁は開明墨汁の創業者、田口精爾(せいじ)が明治中期(1890年代)に出身地である岐阜の小学校の教員をしていた頃、
「墨をするのに時間がかかり、文字を書く時間が足りない」
「寒い冬にかじかんだ手で墨をするのはかわいそうだ。こんな状況を何とかしてあげたい」という思いから開発されたもの。
(本書47~48pより)
当初この墨汁は、墨を練って団子状に丸めたもので、水を含んだ筆で溶かして使うものであったという。これは、大ヒット商品となり、中国に輸出されるほどであったそうだ。
書状を自分で書かなかった戦国武将
博物館が主催する戦国時代をテーマにした企画展に行くと、戦国武将同士でやり取りが交わされた書状を見ることができる。
どれも雄渾(ゆうこん)な書きぶりでほれぼれとするが、実は武将本人が書いたものばかりではないという。誰もが、巧みな筆勢の字を書けたわけではなく、書状をしたためる時間も惜しい立場ゆえ、「右筆(ゆうひつ)」つまり代筆をする文官を起用したのである。そして、右筆が書いた内容に相違ないことを承認する意味で、武将は署名や花押を自筆した。
織田信長も何人もの右筆を抱えており、『信長公記』の著者・太田牛一もその一人であったという。
前田さんは、信長が自筆した数少ない書状の一通を紹介している。秀吉の妻ねねに送ったものだ。
この書状に書かれている内容を要約すると、
安土城に来て久しぶりにねねと会ったが、その美貌はさらに磨きがかかっていますね。あなたほどの女性は二度とあの禿ねずみ(秀吉のこと)には見つけることができないでしょう。とはいえ、愚痴を多くいうのではなく、武将の女房として、ある程度留めておくようにしたほうが良いでしょう。この書状は羽柴(秀吉)にも見せなさい。のぶ(信長)
(本書169~170pより)
末尾の署名が、平仮名で書かれているところに、書状のプライベート感が出ているが、前田さんは、天下布武の押印がなされていることにも言及している。つまり、いかにも私信の体裁を取りながら、公式文書であることを強調することで、妻を大事にするよう秀吉に伝えているわけである。
ちなみに、戦国武将が承認のサインとして用いた花押だが、実は現代の政治舞台でも使用されているという。
それは内閣総理大臣以下、閣僚の方々。閣議において、早急な処理を要する案件については閣議書を持ち回って、そこに花押を記すそうだ。
書道の上達には秘訣がある
前田さんは、書道を志す人へのアドバイスも記している。
誰もが一番知りたいのは、やはり「どうやったら上手くなるか」だろう。
まず、お手本を元に闇雲に書いただけでは、そう上手くはならないという。
的確な上達の秘訣は、「一枚書いたら、お手本とどこが違っているのか、しっかりと観察」することだと説く。この際、チェックするポイントは、線の長さ、点の位置、余白の大きさなどいくつかある。お手本と自分が書いたものを壁に貼り、2~3メートル離れたところから見比べる。そうすると違いが鮮明に見えてきて、次に書くときの参考になる。
もう一つの重要なコツは、先生が書いている時の筆使いをよく見て、自分の書き方と違う部分を確認するというもの。
筆使い一つで全く異なる作品になりますから、どのように筆を動かしているのか、穂先はどれくらい紙に対して接しているのか、筆は立っているのか、倒れているのかなどをしっかり観察して、自分の書き方を変えてみましょう。(本書263pより)
そのほか、毎日筆を持つ、添削を受けるなど、上達のためにやっておくべきことはいろいろとあるので、自身の目標と照らし合わせながら励むといいだろう。
* * *
書道は、日本の伝統文化であるとともに、誰もが手軽に始められるという側面がある。前田さんは、本書を通じてこの文化が、「さらに面白く身近に感じるきっかけ」になればと想いを記す。ご興味のある方には、一読をすすめたい。
【今日の教養を高める1冊】
『世界のビジネスエリートを唸らせる 教養としての書道』
文/鈴木拓也 老舗翻訳会社役員を退任後、フリーライター兼ボードゲーム制作者となる。趣味は神社仏閣・秘境巡りで、撮った映像をYouTube(Mystical Places in Japan)に掲載している。