はじめに-藤原道兼とはどんな人物だったのか?
藤原道兼(ふじわらのみちかね)は、平安時代中期の公卿で、道長の次兄にあたる人物です。兄・兼通(かねみち)との壮絶な権力争いに打ち勝ち、政界の頂点に君臨した兼家(かねいえ)を父に持つ道兼。兼家は、息子たちを昇進させるべく、あらゆる策略をめぐらすこととなります。
しかし、兼家は息子たちの中でも、嫡男の道隆(みちたか)を優遇したのです。父の命で、時の天皇・花山(かざん)天皇を騙し、出家へと追い込んだとされる道兼。優秀な兄・道隆の陰に隠れてしまっていたというイメージがありますが、実際の藤原道兼はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。
2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』では、全てにおいて道隆を超えることが出来ず、父からの愛情に飢えていた人物(演:玉置玲央)として描かれます。
目次
はじめに―藤原道兼とはどんな人物だったのか?
藤原道兼が生きた時代
藤原道兼の足跡と主な出来事
まとめ
藤原道兼が生きた時代
藤原道兼は、応和元年(961)に生まれます。道兼が生まれた頃には既に、天皇家との関係を深めていた藤原氏は、貴族社会の頂点に君臨していました。後に氏長者(うじのちょうじゃ、一族の中の最高権力者)となる父・兼家のもとに生まれた道兼は、様々な恩恵を受けることとなります。
しかし、道兼の前にはいつも、兄・道隆という超えられない壁が立ちはだかっていたのです。
藤原道兼の足跡と主な出来事
藤原道兼は、応和元年(961)に生まれ、長徳元年(995)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
藤原兼家の子として生まれる
藤原道兼は、応和元年(961)、藤原兼家と時姫の次男として生まれます。道兼が生まれた頃、父・兼家は兄の兼通よりも早く出世し、元々悪かった二人の仲はさらに険悪になっていました。その後、二人は激しい権力争いを展開させますが、兼通が病没したことで、兼家は氏長者として権勢を振るうようになるのです。
強い権力を有する兼家のもとに生まれた、道兼。恵まれた環境にあったため、順調に官途を辿ることとなります。しかし、父・兼家は嫡男の道隆を特に気にかけていたため、次男の道兼が彼以上に出世することは難しいとされていました。
さらに、道隆は顔立ちも美しく、非常に優秀で、周囲から慕われていたそうです。一方で、藤原氏について記された歴史物語『大鏡』や『栄花物語』によると、道兼は容貌が悪く、意地っ張りだったとされます。道兼は、出来の良い兄・道隆に対し、幼い頃から劣等感を抱いていたのかもしれません。
【花山天皇を出家へと追い込む。次ページに続きます】