はじめに-旭姫とはどんな人物だったのか?
2026年NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』に登場する旭姫(あさひひめ、ドラマでは「あさひ」、演:倉沢杏菜)は、豊臣秀吉(演:池松壮亮)・秀長(演:仲野太賀)の妹です。安土桃山時代、政治的な和睦の手段として、兄・秀吉の意向により徳川家康(演:松下洸平)の正室となりました。
もともとは尾張の地侍・佐治日向守に嫁いでいましたが、「小牧・長久手の戦い」の和解後、秀吉が家康を懐柔するために、旭姫を人質代わりに嫁がせることを決断。これにより旭姫の人生は大きく変わります。
「兄の野望のために人生を翻弄された女性」として知られる一方、家康との関係や晩年の過ごし方にも注目が集まります。
『豊臣兄弟!』では、陽気で笑顔を絶やさない4きょうだいの末っ子として描かれる旭姫。その史実をたどりながら、彼女の生涯を紐解いていきましょう。

旭姫が生きた時代
旭姫は、天文12年(1543)に生まれました。この時代、戦国の争乱は続いていましたが、旭姫は百姓の娘としてごく普通の生活を送っていたと考えられています。
しかし、長兄の秀吉が武士として信長に仕え、次兄・秀長とともに出世を重ねるにつれて、旭姫もまた「武家の妹」として政治の渦に巻き込まれていくことになります。
旭姫の足跡と主な出来事
旭姫は、天文12年(1543)に生まれ、天正18年(1590)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
秀吉や秀長の妹として誕生
旭姫は、天文12年(1543)、尾張国(現在の愛知県名古屋市中村区)に生まれました。母・なかと、再婚相手である筑阿弥(ちくあみ)との間に生まれたため、秀吉とは異父兄妹にあたります。

佐治日向守との結婚
若き日の旭姫は、尾張の地侍・佐治日向守(さじひゅうがのかみ、※諸説あり)に嫁ぎました。詳細な時期や婚姻の背景は不明ですが、この時期はまだ、兄たちが大名として台頭する以前のこと。旭姫も、名もなき百姓の娘としての静かな生活を送っていたとみられます。
「小牧・長久手の戦い」と運命の転機
転機は、天正12年(1584)の「小牧・長久手の戦い」です。信長の死後、後継者争いが続く中で、秀吉は織田信雄(おだ・のぶかつ)・家康連合軍と対立。膠着状態の末、和解交渉に入る際、秀吉は家康との関係を深める切り札として、旭姫を嫁がせる決断を下します(※ただし、最近では、家康が旭姫を所望したという説も出てきています)。
当時、旭姫はすでに佐治日向守の妻でしたが、秀吉は日向守に500石の加増を与える条件で離縁を命じたとされます。強引に離婚させられた佐治日向守は、その後出家したと伝えられていますが、詳しくはわかっていません。いずれにせよ、納得しがたい出来事だったと考えられます。
旭姫や佐治日向守の意志はどうであれ、この離縁と再婚は秀吉の政略上の選択でした。
徳川家康の正室に
天正14年(1586)、旭姫は徳川家康の正室として迎えられます。このとき、秀吉はさらに自らの母・なか(大政所)も人質として家康のもとに送り込み、信頼関係を固めようとしました。
旭姫は駿府に移り、「駿河御前」と呼ばれたそうです。政治的な結婚ではありましたが、家康もまた旭姫を丁重に扱ったことがうかがえます。

聚楽第での看病と病没
その後、体調を崩した実母・なか(大政所)の看病のため、旭姫は大坂へ戻ります。聚楽第にて母と過ごし、看病に尽力しますが、自身も病に倒れてしまいました。
天正18年(1590)、旭姫はなかよりも先に48歳で死去。兄・秀吉の政治のために人生を変えられながらも、家族を思い続けた彼女の人生は、静かに幕を閉じました。
まとめ
旭姫は、兄・秀吉の政略のために離縁と再婚を余儀なくされ、短い夫婦生活ののちに病没した人物です。政治に振り回された「不憫な女性」という見方もありますが、家族を思い、自らの立場を全うした旭姫の生き方には、確かな芯の強さが感じられます。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/菅原喜子(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
HP: http://kyotomedialine.com FB
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)
『日本人名大辞典』(講談社)2026年NHK大河ドラマ











