はじめに-登譽上人とはどんな人物だったのか
登譽上人(とうよしょうにん)とは、浄土宗の僧侶として、戦国時代を生きた人物です。彼は、家康の先祖である松平親忠(ちかただ)が建立した大樹寺(だいじゅじ)の第13代住職を務めました。「桶狭間の戦い」では、窮地に立たされた家康を仏教の教えをもって諭し、彼の心の支えとなったとされています。
穏やかでありながら、どことなく威厳が感じられるように思えますが、実際の登譽上人はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら紐解いていきましょう。2023年NHK大河ドラマ『どうする家康』では、生涯を通して家康の精神的な支えとなった、大樹寺の頑固一徹な住職(演:里見浩太朗)として描かれます。
目次
はじめに-登譽上人とはどんな人物だったのか
登譽上人が生きた時代
登譽上人の足跡と主な出来事
まとめ
登譽上人が生きた時代
登譽上人の生没年については諸説あり、はっきりとした年代はわかっていません。登譽上人が大樹寺の住職を務めていた頃は、三河国(現在の愛知県東部)の松平氏、尾張国(現在の愛知県西部)の織田氏、そして、駿河国(現在の静岡県中部・北東部)の今川氏が、互いに勢力拡大を狙って争う群雄割拠の時代。
登譽上人は、そのような荒々しい時代に生きた松平氏の盛衰を見守ってきた人物であると言えるでしょう。
登譽上人の足跡と主な出来事
では、登譽上人の生涯を出来事とともに紐解いていきましょう。
大樹寺の第13代住職になる
登譽上人は、相模国(現在の神奈川県)の小田原出身であると考えられており、京都に渡ってからは浄土宗の寺院に入り、修行を重ねていたと言われています。その後、三河国に移り住み、大樹寺の第13代住職になったようです。
登譽上人が住職を務めた大樹寺は、家康の先祖にあたる松平家第4代当主・松平親忠により建立され、その後は菩提寺となり、松平家の先祖代々が眠る墓が作られるなど、家康とはかなり縁が深い寺院でした。そのため、「桶狭間の戦い」にて予想外の事態に見舞われた家康は、すぐに大樹寺へと避難することを決意したのです。
家康に仏教の教えを説く
永禄3年(1560)に勃発した「桶狭間の戦い」にて、家康は今川義元が織田信長によって討ち取られたという知らせを耳にします。今川氏の人質として今川軍に与して参戦していた家康は、織田軍がじきに攻めてくるだろうと予測して、今川氏の領地に避難しました。
しかしこの時、家康と同じく身の危険を感じた岡崎城の城代(城主の代理人)が、今川氏の支城となっていた岡崎城から逃走していたのです。このことを知った家康は、今こそ今川氏から独立する千載一遇のチャンスであると考え、自身が生まれた城である岡崎城奪還を目指します。
ところが、城内には戦場から敗走してきた今川氏の軍勢が押し寄せていたため、中に入ることは出来ませんでした。予想外の事態に見舞われた家康は、付き添いの家臣らを連れて、岡崎城周辺に位置する大樹寺へと向かうことにしたのです。
【「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」の精神を家康に教える。次ページに続きます】