岡崎城奪還、そして今川氏からの独立はもはや不可能であると悟った家康は、先祖の墓前にて自害しようとしました。自分が責任を取る形で自害することで、家臣らを守ろうとしたのかもしれません。しかし、家康がここで命を落とすことはありませんでした。なぜなら、そこに大樹寺の住職・登譽上人が現れたからです。
登譽上人は、まさに命を絶とうとしていた家康に対して、「志半ばにして死ぬべきではない」と諭したと伝えられています。そして、「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」の精神を家康に教えたそうです。
「厭離穢土欣求浄土」とは、平安時代中期に作成された仏教書である『往生要集(おうじょうようしゅう)』に記載されている言葉で、「穢れた現世から離れ、阿弥陀如来のいる極楽浄土を目指す」という意味の教えのことです。
登譽上人は、浄土宗の開祖・法然(ほうねん)が根本原理としていたこの教えを家康に説くことで、争いの絶えない波乱に満ちた世の中を平和に導くようにと伝えたかったのだと考えられます。登譽上人は、弱腰になっていた家康の背中を押し、家康は目標に向かって再び動き出すこととなったのです。
その後
登譽上人の教えに勇気づけられ、再び立ち上がった家康は、岡崎城への入城を果たし、敵の織田信長との間に同盟を結んで、今川氏からの独立に成功しました。それ以来、家康は大樹寺に厚い信頼を寄せるようになり、位牌は大樹寺に祀るようにと遺言を残したそうです。
そのため、大樹寺には徳川歴代将軍の位牌が安置されているのです。
まとめ
松平氏ゆかりの寺院で住職を務めた登譽上人。彼が絶望に打ちひしがれていた家康のことを、浄土宗の教えとともに鼓舞しなければ、家康の天下統一はなかったのかもしれません。登譽上人もまた、陰ながら家康を支えた人物の一人であると言えるでしょう。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/とよだまほ(京都メディアライン)
HP: http://kyotomedialine.com FB
引用・参考サイト/
愛知県岡崎市公式観光サイト
愛知県公式観光ガイド