取材・文/ふじのあやこ
家族の中には、血縁のない『義(理の)家族』という間柄がある。結婚相手の親族関係を指すことが一般的だが、離婚件数が増える現在では、親の再婚相手や、再婚相手の連れ子など、家族の関係は複雑化している。血のつながりがないからこそ生じる問題、そして新たに生まれるものも存在する。義家族との関係を実際に持つようになった当事者にインタビューして、そのときに感じた率直な思いを語ってもらう。
今回お話を伺った久美子さん(仮名・38歳)は31歳のときに4歳上の男性と結婚。現在は旦那さまと夫婦で暮らしています。その新居から徒歩3分のところには義母が暮らしており、2人は結託して久美子さんの自由を奪い続けていたと言います。
「もう感覚が麻痺しているのか、何も感じなくはなっているんですが、昔は相当しんどかったです。今は夫を心配させるような要素は残っていませんから」
放任主義の両親で、拘束されることなく自由に育った
久美子さんは奈良県出身で、両親と6歳上に姉のいる4人家族。両親は一緒に飲食店を経営しており多忙、姉は20歳で結婚して家を離れて、久美子さん自身は姉の影響で昔は少しヤンチャだったと振り返ります。
「親は放任でした。小さい頃は姉が私の面倒を見てくれていたんですが、姉の友人は少し悪い人が多くて、それに影響を受けました(苦笑)。でも、ちゃんと学校には行っていたし、成績も中の中ぐらいで、警察のお世話になったことはありませんよ。あの頃は高校も行かずに働いていた人たちがカッコよく見えて、憧れから少しだけ仲良くしてもらっていただけです。
親は遅くに帰ってきて疲れているのか一度寝ると絶対に起きてこなかったので、夜中に家を抜け出して、明け方に帰って寝不足のまま学校に行っていたことをよく覚えています」
久美子さんは高校を卒業後に働くつもりだったが、両親は初めて久美子さんの意思に大反対。押し切られる形で大学進学を決めますが、今では両親に感謝していると言います。大学進学とともに地元の友人から大学の友人に変わっていき、自身も落ち着いたとのこと。
「後々のことを考えて、大学には行ってほしいというのが、唯一両親からお願いされたことでした。姉は嫌だと突っぱねたそうなんですが、私はまだ働かなくていいならいいかという感じで。
大阪府内にある大学に進学したのですが、その中には大学を機に上阪した子たちも多くて、その子の家で大学の友人と遊ぶことが多くなり、自然と地元の友人とは疎遠になっていきました。あのまま地元にいたら、姉みたいに早くに結婚していたのかもと思うときがありますが、私には晩婚のほうが向いていたと思います」
【束縛は愛情表現の1つ。結婚前はそう思っていた。次ページに続きます】