娘のことを大事に思っているのに、なぜか娘との会話がぎくしゃくしたり、煙たがられたりしている。そんな父親に対して、脳の仕組みをベースにしたコミュニケーション方法を説く、人工知能研究者・黒川伊保子さんの著書『娘のトリセツ』から、娘や家族とのコミュニケーションを円滑にするコツをご紹介します。
文・黒川伊保子
娘の自我のリストラは父の役目
1970年代に、「大草原の小さな家」というアメリカのTVドラマがあった。西部開拓時代のアメリカを舞台に繰り広げられる、開拓者一家の愛しい日々の話である。一家の子どもたちが大人になるまでの、8年にも及ぶ長いドラマだが、私には忘れられない一話がある。
主人公のローラには、美しくエレガントな姉がいる。思春期を迎えて、ますます輝きを増す姉に、自分が密かに心を寄せる男の子がぽうっとなっているのを見たローラは、姉のような女の子を目指すようになる。
女らしい振る舞いをしたり、胸に詰め物をして、姉のドレスを着てみたりするローラを、しばらく見守っていた母親が、ある日、ローラを諭すのである。「あなたが、あなたじゃない人のふりをしていたら、あなただけを愛する人は、どうやってあなたを見つけたらいいの?」
姉の真似をしても、ちっともうまく行かずに落ち込んでいたローラが、このセリフで自分を取り戻し、彼女らしい素敵な少女になっていく。スレンダーで、お転婆でおちゃめな彼女は、姉とはまた違った意味で、人々を魅了しだすのである。
このエピソードは、当時思春期だった私にも突き刺さった。誰かの真似をすること、誰かの理想を生きることは、人生の目的じゃない。そうしっかりと自覚した、人生最初の出来事だった。
それにしても、このお母さんのセリフ、素晴らしすぎる。女の子の親の真の役割、ここに極まれり、じゃないだろうか。かえりみて、今の日本のお母さんは、「娘を理想像に押し込めたがる」傾向が強いように見受けられる。成績がよく、お行儀がよく、習いごとにもテキパキ通う、誰もがうらやむ娘であってほしいと願う。あるいは、仲よしの女友達のように、夢を共有する。「素敵な自分」を実現する夢だ。
早めに、親の期待を裏切れればいいのだが、期待に応えられる娘は、母親の餌食になってしまう。お受験の次は就職、就職の次は結婚、結婚の次は孫、やがては孫のお受験……と、母から娘への要求は果てしない。これじゃ、娘の自我を何とかしてやるどころか、母親の自我に吞み込まれてしまう。21世紀の日本の女の子たちが、ローラのように、自分らしさを素直に愛せるようになるのには、父親の助けが必要である。
では、父親は、何をすればいいのか。
娘を無条件で愛する
父親は、まず、十分に娘を愛すればいい。何か特別なことがなくても、彼女を見つめて、嬉しそうにしてあげればいいのである。彼女のことばに耳を傾け、共感してやり、カワイイ、愛してるよと告げたらいい。いくらでも。父親が、娘を甘やかすから、我の強い娘になると思われがちだが、それは大噓だ。女性脳は、そんなふうにはできていない。
ただし、父親の愛が何かのバーターなのは、絶対にいけない。「いい子だから」「成績がいいから」「頑張ったから」いい顔をし、そうでないなら無関心でいる。そんな父親に育てられたら、娘は、「父親の評価軸」をクリアすることに躍起になってしまう。そうして、学校へ行けば先生の、会社に行けば偉い人の歓心を買うことに腐心することになる。それこそ、いい子ちゃん症候群の真っただ中に、娘を追い込むことになってしまう。
娘への愛は、無条件でなくては意味がない。そこに娘がいるだけで愛おしい。その気持ちを、ただ、ことばや態度にすればいい。男性脳は、客観性の高いゴール指向型なので、「自分」ではなく「成果」を評価されたいという欲求がある。「成果」があってもなくても、同じ態度でいられると、モチベーションが上がらない。勇敢に戦って、お姫様を助けた勇者と、ただ怖がって隠れていただけの愚か者が、平等にお姫様にキスをされるのでは、納得いかないでしょう?
しかし、女性脳は「成果」ではなく「自分」を認めてほしいのだ。「成果」があってもなくても、きみが愛しいと言い続けてほしい。男性脳の論理で、娘のモチベーションを上げてやろうとして、「成果」を褒め続けると、娘は、愛の飢餓に陥ってしまう。
娘は、思う存分、可愛がればいい。けっして何かのバーターではなく、無条件で。それが、娘の自我を刈り込む前の、前提条件である。
「娘が一番ではないこと」を知らせよう
こうして、無条件の愛を注ぎ、父と娘の関係を盤石にしたうえで、父親は、「この家の一番は妻(娘にとっては母親)」であることを、キッパリと知らせよう。「自分が一番ではないこと」を、「両親が仲よしである」という幸福な事実と共に知ることは、娘の肥大する自我を、幸せに刈り込んでやれる、唯一の方法だと私は思う。
早くから「自分」に意識が集中している女の子の自我は、思春期に極まる。自分の前髪を短くしすぎてしまったくらいで、「世界の終わり」のように感じられる。学校になんか行きたくないし、何なら、死んでしまいたいくらいだ。それは、とにもかくにも、脳が感知する「世界」のほとんどが「自分」で占められているからにほかならない。
「世界は、私だけのものじゃない。世界中が私を見ているわけじゃない。世界から見れば、私は案外ちっぽけな存在で、いてもいなくても、変わらないくらい。もっとリラックスして世界を楽しめばいいんだわ」とわかるには、この世に、自分よりも尊重されている人間がいると知ること、そして、そのことを素直に喜べることが大切だ。父親が母親を大切にすることは、だから、娘の自我のリストラに大いに効果があるのである。
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『娘のトリセツ』(黒川伊保子・著)
小学館新書
黒川伊保子
1959年、長野県生まれ。人工知能研究者、脳科学コメンテイター、感性アナリスト、随筆家。奈良女子大学理学部物理学料率業。コンピュータメーカーでAI(人工知能)開発に携わり、脳とことばの研究を始める。1991年に全国の原子力発電所で稼働した、“世界初”と言われた日本語対話型コンピュータを開発。また、AI分析の手法を用いて、世界初の語感分析法である「サブリミナル・インプレッション導出法」を開発し、マーケティングの世界に新境地を開拓した感性分析の第一人者。著書に『妻のトリセツ』『夫のトリセツ』(講談社)、『コミュニケーション・ストレス 男女のミゾを科学する』(PHP新書)など多数。