日本各地には多くの湧水がありますが、その中で、何故か名水と呼ばれる水があります。
ただ、美味しいというだけではなく、その水が、多くの恵みをもたらし、人々の命に深く関わり、生活を支えてきたからに他ならないからでしょう。
それぞれの名水からは、神秘の香りと響きが感じられます。名水の由来を知ることは、即ち歴史を紐解くことであり、地域の文化を理解することでもあります。
名水に触れ、名水を口にすれば、もしかすると、古の人々の想いに辿り着くことができるかもしれません。歴史ある水を訪ね古都を歩きます。
これまで各地の故事来歴を有する名水、歴史人物に縁のある名水など、様々視点から取り上げご紹介させていただきました。毎回「何処の地の名水を取り上げようか?」と思案することが常でございます。それには次のような理由がございます。取材先を選ぶに際して、環境省の資料や市町村の観光課などの情報を頼りとしておりますが、実際に現地へ赴いてみると、何とも哀れな姿の「名水の痕跡」に辿り着くということが多くなっているからです。
例えば、かつて「名水ブーム」にあやかろうと整備されたものの、その後は、訪れる人もなく朽ちるように荒廃してしまっている名水。
急速な過疎化で、名水を守り伝承する人々も居なくなり所在が明確にわからぬ名水。
大型開発、整備工事によって環境が変化してしまい涸れてしまった名水。
あるいは、ここ数年各地で頻発する激甚災害によって土砂に埋もれてしまった名水。
そうした「名水の痕跡」を目の当たりにいたしますと、その地域の歴史や文化が失われたようで残念で仕方がありません。これまで目にした「名水の痕跡」を想い返していた時、ふと「歴史上最も古い名水は何処にあるのだろうか?」という疑問と興味が湧いてまいりました。
そこで、調べてみますと古事記(こじき)に「天の真名井(あまのまない)」という名水が登場することを知り、訪ねてみることにしました。
秀峰大山は名水の源「天然水のふるさと」として、全国的な飲料水の有名ブランド
調べてみるに『天の真名井』と名のついた水源は全国に点在しています。いずれの『天の真名井』を訪問すべきかを決めるにあたっては悩みましたが、名水百選に選定されている鳥取県米子市淀江町高井谷にある水源を目指すことにいたしました。米子市淀江町高井谷は、中国地方最高峰大山の北西麓に位置する山村です。
「大山の水」というと飲料水のCMを思い浮かべてしまいます。改めて調べてみますと、某有名メーカーが「天然水」というブランド名を冠して販売している、飲料水の採取地の一つが奥大山になっているようです。
また、米子市江府町が地域振興として「天然水 奥大山」という銘柄の飲料水も販売していることもわかりました。奥大山で採取される水の特徴は、ミネラルバランスに優れた軟水。お茶やコーヒーの風味を引き立て、日本料理にも適しているそうです。
秀峰大山の聳える伯耆の国は、湧き水だけではなく「水道水」も美味しいとのこと、厚生労働省の「おいしい水研究会」において全国32市のひとつにも選ばれているそうです。鳥取県のホームページによると、県独自に「とっとり(因伯)の名水」(https://www.pref.tottori.lg.jp/37657.htm)も選定しており、「暮らしの中の泉」「ふれあいの水辺」「歴史の水 」「ふるさとの渓流」の4分類に区分され紹介されています。ただ、少々不思議なのは『天の真名井』が、いずれの分類にも含まれていないことであります。
おそらく、『天の真名井』は名水百選に選ばれているので、あえて「とっとり(因伯)の名水」に含めずとも良いということなのでしょうか?
いずれにしましても、秀峰大山の麓に湧き出す名水に高天原の聖井を意味する『天の真名井』、神聖な水に付けられる最高級の敬称が付けられたことは納得しても良いような気がいたします。
神々の誕生に纏わる神聖な水は何処にあるや? 妻木晩田遺跡との関わりは?
現存するわが国最古の歴史書といえば古事記(こじき)と認識しているのですが、誤りであればお許しいただきたい
。古事記に関しては、断片的な知識しか持ち合わさないのですが、神代(かみよ)の物語や国の成り立ちに纏わる出来事を記した書物と認識しております。その古事記において『天の真名井』という名の神聖な水が登場するのが「宗像三女神誕生」のくだり……。
故爾各中置天安河而、宇気布時、天照大御神、先乞度建速須佐之男命所佩十拳剣、打折三段而、奴那登母母良爾、振滌天之真名井而、佐賀美迩迦美而、於吹棄気吹之狭霧所成神御名、多紀理毘売命。亦御名、謂奥津島比売命。次市寸島比売命。亦御名、謂狭依毘売命。次多岐都比売命。
速須佐之男命、乞度天照大御神所纏左御美豆良八尺勾璁之五百津之美須麻流珠而、奴那登母母良迩、振滌之天真名井而、佐賀美迩迦美而、於吹棄気吹之狭霧所成神御名、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命。
古事記の解説につきましては、専門家の先生や他のサイトにお譲りするといたしまして、要するに速須佐之男命(はやすさのおのみこと)が所持していた十拳剣と、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が身に付けていた勾璁(まがたま)の五百箇(いほつ)の御統(みすまる)の珠を『天の真名井』で濯いだ後、噛み砕いて吹き出した息の霧から女神と男神が誕生したという神話なのであります。
この神話の舞台が、米子市淀江町であったか否かはわからないのですが、『天の真名井』の近くには妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)があります。この遺跡は、なんでも吉野ヶ里遺跡より規模が大きいとか。ホームページ(https://www.pref.tottori.lg.jp/dd.aspx?menuid=42521)には次のように説明がされています。以下転載させていただくと……
“中国地方の最高峰・大山の麓に甦った弥生時代の国邑、それが妻木晩田遺跡です。
遺跡のひろがりは鳥取県米子市・西伯郡大山町にまたがる晩田山丘陵全域におよび、弥生時代に大山山麓に存在したであろうクニの中心的な大集落であったと考えられます。
現在、全体のおよそ1/10が発掘調査されています。その結果、弥生時代中期末(西暦1世紀前半)~古墳時代前期(3世紀前半)にかけての、竪穴住居跡約450棟、掘立柱建物跡約510棟、山陰地方特有の形をした四隅突出型墳丘墓などの墳墓39基や、環壕など、山陰地方の弥生時代像に見直しをせまる貴重な資料がたくさん発見されました。”
こうした調査研究がなされていることを考えると、古事記に登場する神聖な水と米子市淀江町高井谷にある湧水とは、何かしらの縁があるように思えてなりません。
もたらされた恵みの大きさ故に『天の真名井』と命名されたのでは?
名水百選に選定されている『天の真名井』は、米子道路淀江大山ICから車で約10分ほどの丘陵を背にした小さな集落の中にありました。集落の中の道は、車一台が通れるのがやっとの小道。集落の外に専用駐車場があるので、そちらを利用しました。駐車場から『天の真名井』までは、遊歩道が整備されています。
標識に従って遊歩道を歩いて行きますと、苔に覆われ少々朽ちかけた水車小屋にたどり着きます。その水車小屋裏手には長さ15メートルほどの池があり、その左奥に『天の真名井』の水源がありました。
池からも水は湧き出しているとのことで、傍には毘沙門堂と秋葉三尺坊大権現(あきばさんじゃくだいごんげん:火防の神)、さらに道祖神が水源を守護しているかのように祀られておりました。
水源からは、滔々と水が流れ出しており手前には立派な石碑と説明板が建てられております。説明文には以下のように書かれております(一部を転載)。
“環境庁指定「名水百選」天の真名井(あめのまない)
この泉は、米子市淀江町高井谷泉川(たかいだにいずみかわ)にあり、「天の真名井」と呼んでいます。「天の真名井」とは、「古事記」「日本書記」において、高天原(たかまがはら)の神聖な井戸を意味し、神聖な水につけられる最高位敬称です。
高井谷の氏神である下津守神社の古棟札にも「天乃真名井乃清久潔幾与元水於降玉布(あまのまないのきよくいさぎよさ もとみずをくだしたまふ)」と古くから記されております。
その湧水量は、一日2,500トンに及び、夏は冷たく、冬は温かく、実に味わい深い天然水です。”以下省略
道路を挟んで池の反対側と、周辺には民家があるものの誠にひっそりとしており、観光客の姿、村民の姿を見る事はありませんでした。天の真名井から流れ出た水は、泉川そして高井川と呼ばれている小河川の水源となって、やがて宇田川へと合流します。その川は、宇田川平野を形成し弥生時代の頃から、耕作の水源として使用され人々の生活を潤していたと思われます。
人々はそうした水の恵みに深く感謝して『天の真名井』という神話にも登場する特別の尊称をつけたのではないでしょうか? 本来「名水」とはそうしたものではないだろうか? と思うのであります。
『天の真名井』所在地・最寄り駅、交通手段
住所・所在地:鳥取県米子市淀江町高井谷
交通:米子道路 淀江大山I.Cから車で約10分
JR淀江駅より車で約10分
取材・動画・撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)※一部画像とイラストを除く
ナレーション/和泉透司
京都メディアライン:https://kyotomedialine.com
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