取材・文/ふじのあやこ
近いようでどこか遠い、娘と家族との距離感。小さい頃から一緒に過ごす中で、娘たちは親に対してどのような感情を持ち、接していたのか。本連載では娘目線で家族の時間を振り返ってもらい、関係性の変化を探っていきます。
「父親はいつも外面の良い人でした。だから私の味方になってくれるような存在ではなかったし、私自身も父に相談しようと思ったことはありませんでした」と語るのは、真奈さん(仮名・38歳)。彼女は26歳のときに結婚しますが、36歳のときに離婚を経験しており、現在は都内で一人暮らしをしています。
父親で覚えているのは、他の誰かと楽しそうな姿だけ
真奈さんは埼玉県出身で、両親と5歳上に兄のいる4人家族。大手商社に勤める父親との思い出はほとんど残っておらず、唯一記憶にあるのは、祖父母の家に泊まりに行くときや、旅行中に自分以外の誰かと楽しそうに話す姿だと言います。
「仕事が原因だと思うんですが、小さい頃はたまの週末に家にいたことぐらいしか父親の記憶がなくて。土日も家族とは別行動で、お昼遅い時間まで寝ていた気がしますし、朝方に大きな声で話すと『お父さんが起きてしまうから』と声のボリュームを下げるように母親に注意されていました。
小さい頃に父親の姿を見たのは、大型連休の旅行のときや遠方で暮らす祖父母の家に遊びに行くときだけ。でも祖父母の家では親族のおじさんたちとお酒を飲むだけだったし、家族旅行では1人で先にどんどん進んでいくタイプで。追いかけるだけで必死でしたね」
中学に入学すると、覚えているのは家族のことから学校のことばかりに。中学2年の頃にいじめられていたと語ります。
「ずっと大人になってから知り合った友人には誰1人話してないのですが、今は芸能人の方も過去にいじめられていたことを公表するようになったこともあり、私も、恥ずかしい過去じゃないのかなって思うようになって、少しずつ話せるようになりましたね。
中学2年のときに一緒に行動する仲の良い子がいたのですが、その子とケンカしたら、他の仲が良い子たちまで相手側の味方について、クラスの女子全員から無視されるようになりました。それからは休み時間はクラスから一番遠いところのトイレに籠ったり、校舎裏に隠れたりしていましたね。いつかは覚えていないけど、トイレの中でお弁当を食べることもありました。それでも最初の頃は無視だけだったから、耐えることがまだできたんです」
【いじめに親身になってくれた母と、傍観者だった父。次ページに続きます】