取材・文/ふじのあやこ
家族との関係を娘目線で振り返る本連載。幼少期、思春期を経て、親に感じていた気持ちを探ります。(~その1~はコチラ)
今回お話を伺ったのは、都内の企業で働きながら一人暮らしをしている亜弥さん(仮名・37歳)。大阪府出身で、両親と3歳上に兄のいる4人家族。育児放棄などはなく、ちゃんと目の前で褒めてくれる母親に、優しい父親の下で育ちます。優秀なお兄さんと面と向かって比べられることはなかったものの、歴然な差と反抗期もあり、あんなに好きだった両親との関係は中学生の頃からギクシャクしていったそう。
「何をしても私は兄の次。最初は兄を超えたいと勉強を頑張った時期もありましたが、生まれ持ったものが違うのか、家で勉強せずに部屋に籠ってゲームばかりしている兄に一度も勝てませんでした。勉強だけでなく、容姿も運動神経も、芸術の才能も兄のほうがいつも先に好成績を残して、両親に先に良い印象を与えるんです。反抗期もあって、頑張ることがバカらしくなってからは親に歩み寄ること自体が恥ずかしくなってしまい、やめました」
女性への体の変化を母親に相談できなかった
そんな亜弥さんに初潮がきたのは中学2年生のとき。学校で説明を受けていたものの当初はとても戸惑ったとか。しかしそのことを相談できたのは母親ではなく、友人のお姉さんだったと言います。
「早い子は小学生で経験しているんですが、私は背も低くて細身だったからか他の子よりもだいぶ遅くて。そのときが反抗期と被っていたこともあり、母親に言いたくない気持ちでいっぱいでした。学校がくれた生理用品があったのでとりあえずそれを使って、足りないものは友人のお姉さんからもらいました。当時は下着が汚れたことを必死で隠して、お風呂でこっそりと洗い、髪を乾かすフリをして下着にドライヤーを当てていましたね(苦笑)」
2回目は母親のものを勝手に使っていたことがバレて、お金を渡されます。当時は自分で買うのがとても嫌だったことを覚えているとのこと。以降は母親が補充してくれていたそうですが。
「生理を母親に相談するのって自然なことなんですか?みんな誰に相談したのかなんて友人にも聞けないから、当時はお姉さんがいる家がとても羨ましかったですね。母親は一度私が買ったものをそれからは補充してくれるようにはなりましたが、生理について何かを聞かれることもなければ、私から何かを言うこともありませんでした。お腹の痛みにも1人で必死に耐えていましたね」
【「自由に生きればいい」は何も期待していないと言われたようなもの。次ページに続きます】