「自由に生きればいい」は何も期待していないと言われたようなもの
高校在学中にお兄さんが大学進学で家を出て行きます。そのときの両親は寂しそうで、食卓での会話には兄の話が頻繁に出たり、兄と嬉しそうに会話する母親の姿を覚えているとのこと。3年後に亜弥さんも大学進学を機に一人暮らしを始めますが、そこでも比べてしまったとか。
「兄が出て行って、私の反抗期も落ち着いた後は家族での会話はありました。一見普通に戻った感じでしたが、やっぱりどこか寂しそうな両親を見ると、兄が一番なんだなって再確認するというか。
その3年後に私も勉強を頑張って東京の大学へ進学して一人暮らしを始めたんですが、兄のように地方の大学を目指すことに反対されなくて……。応援してくれたし、兄と同じように家具を用意してくれたりしたんですけど、一人暮らしの準備を手伝われていると、早く出て行けって言われているような気持ちになりました」
その後は大型連休の度に帰省しており、社会人になってもそれを続けていたと言いますが、お兄さんが結婚した直後の12年前に最後の帰省をしたっきり。その理由に居場所のなさを挙げます。
「最後の年は、兄の結婚式のときと、その後のお盆に帰省しました。そしたら私のポジションは兄嫁がいたという感じで。両親と兄夫婦と私で食事を囲んだときに、母親は私のことを『東京で好き勝手やっているから。もう勝手に生きればいい』と。私には結婚さえも何も期待していないように、さらにはやっと手が離れて清々しているようにも聞こえました。とっくに成人して手を離れているから子育ては終わったということかもしれませんが、兄には相変わらずベタベタで、兄夫婦を近所に住まわせたりしているのに、ですからね」
帰省するとそんなもやもやした気持ちを抱えてしまうことに嫌気が指し、今の状態が続いているとのこと。最後に、これからも家族と関係を作っていく気はないのか、聞いてみました。
「自分も今後結婚することがあれば変わるのかもしれませんが、今はその予定もないし、無理してまで結婚したいとも思っていないので、ずっと今のままかもしれません。最初の頃は、両親から帰省するのかどうかを問い合わせのメールが来ていましたが、何度も断っているとそれもなくなりました。今のコロナの状況でも誰からも何の連絡もありませんから、それがお互いの答えだと思います」
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。