東京・世田谷区と長野・立科町で二拠点生活
浅間山や蓼科山の美しい山稜を遥か望む場所に、そのぶどう畑はある。伊澤貴久さんは8年前に長野県立科町でワイン用のぶどう栽培を始めた。春から秋、畑仕事が多忙な時期は朝6時から19時まで休憩をはさみつつ、農作業に精を出す。休日も、ほとんどない。
「移住したのは、人生の後半を涼しく自然豊かな田舎で物作りをして暮らしたいと思ったからです。ワイン用ぶどうが実をつけるには、苗木を植えてから3〜4年かかります。それまではサラリーマン時代の貯蓄でつなぎましたが、3年前からは自分のワインを販売できるようになりました」
以前は大手証券会社に勤務していたが、40代半ばでリーマンショックに見舞われ、携わっていた業務が大きく見直された。組織の一員ではなく、ひとりで決断できる物作りをしたいと望んだ。
「当時は農業関連分野の投資ファンドが多く立ち上がって、私もその手伝いをしました。それで果樹栽培だけではなく、自分で栽培したぶどうでワインを造って販売する六次産業の仕事をしようと思ったのです。日本ワインの規模は非常に小さいものの、これから成長する可能性があるし、自分の周りにワインが好きな人が多かったことも後押しになりました」
自然のなかでの仕事が楽しい
移住先を探していた時に、立科町がワイン用ぶどうの試験栽培を始めるにあたり、研修生を募っていると知った。当時、伊澤さんは50歳。応募条件は40歳までだったが、町に訊ねると受け入れてくれた。その後、独立。ぶどう栽培に適した土地を探し、耕作放棄地を借りて開墾、町の試験栽培の畑も引き継いだ。現在、ぶどう畑は1.9ヘクタールにまで広がっている。
妻は外資系金融会社勤務のため、東京にも家を持ち二拠点生活を送る。妻には「いずれ金融業界から離れて、地方で農業がしたい」と夢を語っていたので、ワイン造りに踏み出す際に反対はなかった。
「妻もよく立科を訪れて、ぶどうの収穫などを手伝ってくれます。農作業が暇になる冬には私もなるべく東京に行きます。東京にいた頃はサックスやゴルフなどの趣味もありましたが、今はほとんどやっていません。自然のなかでのぶどう栽培やワイン造りのほうが楽しいし、まったく飽きることがないのです」
取材・文/鳥海美奈子 撮影/宮地 工
※この記事は『サライ』本誌2021年3月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。