取材・文/坂口鈴香
介護をしている方の話を聞いていると、「もうそんなにがんばらないでください」と言いたくなることは少なくない。大体責任感の強い人たちだ。「なぜあなただけがそんなにがんばるんですか?」と聞きたくなることもよくある。
今回お話を聞いた迫田留美子さん(仮名・49)には、これまで以上にそんな思いを強く感じた。というのも、迫田さんが介護する義父と夫家族との関係が想像を超えていたからだ。
義父の酒と暴力で義父母は離婚
迫田留美子さんは、南九州で一人暮らしをしていた夫の父親(87)を関西に呼び寄せ、同居して1年半になる。
それまで、義父との付き合いはほとんどなかった。初めて会ったのは結婚式。その後は子どもが生まれたときに会っただけだ。
遠く離れていたからという理由もあったが、一番の理由は夫が高校生のとき義父母が離婚し、義父との付き合いが途絶えていたからだ。
「義父の酒と暴力が離婚の原因だったらしく、主人は毎日義母が殴られているのを見ていたそうです。これは義弟の元奥さんから聞いたことなんですが……」
さらに衝撃的な話は続く。
「離婚後、義母は主人と義弟を連れて関西に引っ越し、その後同郷の男性と再婚しました。そして2人は車で南九州に里帰りをしている途中、高速道路で事故に遭い、即死したそうです。主人が24歳のときのことでした」
壮絶、という言葉はこういうときに使うのだろう。これほどの経験をした夫が、結婚式によく父親を呼んだものだ。その後、義父との交流が復活したわけではなかったが、毎年正月には米が送られてきて、そのなかに子どもたちへのお年玉が入っていたという。
「1万円札がクシャクシャになって入っていて、孫のことは思ってくれているんだ。まるで『北の国から』の五郎やん、って思っていました」
迫田さんのほっこりする言葉とはまったく逆の思いを抱えていた人もいた。夫の弟だ。
義父が壊した人生
父親と淡々とした関係だった夫とは違い、夫の弟は鬱屈した思いをずっと抱えていたようだ。迫田さん夫婦も、義弟とはもう25年会っていないという。
「25年前、当時の義弟家族は夜逃げをしたんです。私たちも義弟にお金を貸していましたが、それ以上に借金があって、もうどうにも回らなくなったんでしょう。主人も行方を探したんですが見つかりませんでした。とりあえず家を片付けてくれと不動産屋さんから言われて、生まれたばかりの子どもを連れて行きました。『取り立ての人には身内と言わないように』と不動産屋さんから言われていたので、雇われていると伝えて片付けをしました」
家財道具などを処分しいているうちに、借金は義弟の妻がつくったものだったということがわかった。
「しかも年齢を10歳もサバ読んでいて、もうホラーでした。義弟は騙されていたようです」
その後、義弟は再婚したようだが、居所を突き止めて会いに行った夫に、義弟は会おうとしなかった。なんとも不可解な兄弟だと迫田さんは思っていたが、不仲の原因を知ったのはつい最近のことだ。
「義母方の親戚から聞いたんです。義父のことを恨んでいた義弟は、義母が亡くなってから主人のことが嫌いになり、そのまま疎遠になったというんです。もともと兄弟仲は良かったのに、義母が亡くなったときに保険金の受取人が主人の名前しかなかったことがわかって、義父に次いで義母にも裏切られたと傷ついたようです。いつか義弟も義父に会ってほしいと思っているのですが……」
そして人生に絶望していたのは義弟だけではなかった。家庭を壊した張本人である義父もまた、その一人だったようだ。もっともそれを迫田さんが知ったのはずっと後のことだったが。
「夫が生後数か月、義父がまだ30歳くらいだったときに、バイク事故で10日間も生死をさまよったらしいです。大工をしていた義父は、それが原因で仕事ができなくなりました。畑があったので農業でなんとか生活はできたようですが貧乏で、そういうことが重なって義母に暴力をふるうようになったのではないかと聞きました。結局それで家庭がダメになり、離婚してからもずっと一人。人付き合いもほとんどなかったようです」
他人同様だった義父との関係が変わったのは、2年前。義父の弟からの連絡だった。
【次回に続きます】
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。