天下を統一した三武将の中でも、「鳴かぬなら 鳴かせてみよう ホトトギス」という句を詠んだと言われている豊臣秀吉は智将と呼ぶに相応しい。そして、その天下統一には、心理学を駆使していた、とリーダーシップとマネジメントに悩む、マネジメント課題解決のためのメディアプラットホーム「識学総研」では分析している。「豊臣秀吉の心理学」を識学から学ぼう。
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戦国時代の常識を覆し天下を統一した「豊臣秀吉の心理学」
豊臣秀吉は戦国時代の常識を覆した大天才です。
認定心理士の筆者は、それを実現した「秀吉の心理学」には驚きを禁じえません。
秀吉は、関わった人を全てファンにしてしまうのです。
戦国時代において、織田信長、上杉謙信、武田信玄といった有力諸将は、家柄も良く経済的にも豊かなエリートであり、武力によって覇を競っていました。
しかし、秀吉は農民・足軽の出身であり、天下人の器ではありませんでした。しかし、秀吉は周囲の協力を巧みに得て、天下人に上り詰めたのです。
そしてそこには、秀吉流の「心理学」がありました。
そこで、現代のリーダーシップにも通用する秀吉流の心理学について解説します。
リフレーミングでウィークポイントをストロングポイントに
秀吉は、エリート諸将に対抗するために、視点を変えてウィークポイントを補う必要がありました。
視点を変えるという意味では、リフレーミングという心理テクニックがあります。フレームとは、メガネフレームと言われるように“枠”という意味です。フレーミングはこの枠を作るという意味です。リフレーミングの“リ”とは“再び”という意味なので、フレーミングを再作成することで、視点を変えることです。
秀吉は農民・足軽の出身(※)ということもあり、強力な軍隊を持っているわけでもなく、戦術に長けているわけでもありませんでした。これでは、ライバルに勝つことはできません。
そこで秀吉がとった方策が、“心理学”で人々の協力を得ていくことでした。リフレームして、農民や商人の心理も武士の心理も理解できることを強みにしたわけです。
(※)当時、農民が足軽を兼ねているケースが一般的でした。
また当時は「裏切り」が横行していました。
例えば真田家ですが、歴史上武田方につくこともあれば、上杉方についていたこともあります。
戦国の世では、力を失うことはすなわち部下を失うことでもあったのです。
これに対して、秀吉は、“心理学”を駆使して、真田正幸、真田信繁(幸村)親子もファンにしてしまいました。
そして真田信繁は、「真田丸」で知られる大坂城の戦いにおいて、豊臣への忠誠を最後まで示します。
秀吉は武力ではなく、心理学をストロングポイントにして協力者を増やしていったのです。
瞬時に相手を信頼させる天才的テクニック、命を懸けた「返報性のルール」
秀吉が相手を信頼させるために行った命がけのテクニックを紹介します。
人間は、好意には好意で返すという心理を持っています。これを心理学では「返報性のルール」と呼んでいますが、秀吉はこの心理を使ったのです。
例えば、小田原城攻めの時に、初対面の伊達政宗に対して、秀吉は自分が差している刀(佩刀)を預け、二人きりになりました。
いわば、この野心あふれる武将に対し背中を見せて、命を預けたのです。
政宗も天下を狙う有力大名ですから、秀吉を倒すチャンス到来であったと言えるでしょう。
しかし政宗には、秀吉を切り殺すことはできませんでした。
また、九州の役でも、秀吉は同じ手法を使いました。
降伏し丸腰で平伏する島津義久に対し、またも佩刀を与えたのです。
義久とすれば敵の総大将を倒すチャンスであり、そうすれば戦況も逆転するはずですが、やはりそうすることはできませんでした。
いずれのケースでも、佩刀を預けるのは「自分を切り殺しても良い、命を懸けてまであなたを信用している」という秀吉からのメッセージです。
自分のために命を懸けてくれるのですから、自分も命を懸けざるを得なくなります。
また、礼には礼で応じなければ、名誉が失われます。
そして伊達政宗にも島津義久にも返報性のルールが働いて、秀吉を殺すどころか、その心遣いに心服することになったのです。
【金に糸目をつけない接待の極意。次ページに続きます】