有史以来、人々は自然を畏怖し、一方で感謝しながら祈りを捧げてきた。それを託された人々の思いが積み重なり、不思議な力を要するようになった空間は、聖地・霊場としてさらなる信仰を集めた。
美しい光景、神々しい空間、守られてきた教えが、訪れる人々の「心を震わす」瞬間を作り出す―――人生の答えは、聖地・霊場と呼ばれる地にあるのかもしれない。
今回は『サライ』2016年8月号の「聖地・霊場」特集から、古来信仰を集めてきた日本の「聖地・霊場」をご紹介する。
■1:北の一大霊場「恐山」(青森県下北半島)
本州最北端下北半島の中央部に、幽冥の境、地蔵信仰の地ともいわれる北の霊場「恐山」がある。年間20万人が訪れる「北の一大霊場」である。
しかし、実のところ「恐山」という単独峰は存在せず、カルデラ湖の宇曽利湖周囲の外輪山を総じて「恐山」という。
地蔵菩薩を本尊とする曹洞宗寺院「恐山菩提寺」の境内周囲には、火山活動による独特な地形が広がっており、地獄と極楽が交差する幻想的な空間を作り上げている。そして、その参拝順路の至るところに地蔵尊が立ち、石が積まれ、柄を差し込まれた風車が回っている。
積み石には、戒名や人名が書かれた石が置かれ、塔婆や樹木の枝には人名が書かれた手拭いが結ばれている。
恐山院代(山主代理)南直哉師によると、「このような行いに寺は関知しておらず、自然発生的な想いから始まったもの」であるといい、いつから始まったものかもわからないという。
さらに、死者の供養の場となったのは後世のことで、恐山の起源も謎に包まれている。
ただ、地獄と極楽が交差した幻想空間に、人々は何かを感じ、死者への想いを託しのかもしれない。
「中心が空だからこそ、人々の想いを受け止め、預かることができる場所である。本来霊場とはそういうものだと思います」と南院代は語った。
■2:山岳修験道の聖地「出羽三山」(山形県庄内地方)
山形県中央部を縦断する出羽山地の南端にそびえる主峰・月山、里宮の羽黒山、そして奥宮の湯殿山の三峰は総じて「出羽三山」といわれ、それぞれの山頂に鎮座する月山神社、出羽神社、湯殿山神社の三社は出羽三山神社と呼ばれ、山岳修験道の聖地と知られている。
月山の頂を目指し、湯殿山に到る山駆けが行われる修行道は、本格的な修行体験ができるため、今も修行者や参拝者が訪れる。そして厳しい修行を通じて己の来し方と向き合い、これからの人生と向き合う。修行を終えた後には、「生まれ変わった」ような思いになるという。
本格的な修行をする時間がない人には、羽黒山の国宝五重塔の先にある2446段の石段をおすすめしたい。特別天然記念物となっている神々しい杉木立に挟まれた石参道は、勾配が緩やかな箇所ときつい箇所が交互に現れ、永遠に石段の道が続くかのような錯覚にとらわれる。
しかし、目の前に鳥居の姿が見え、山頂に着くと、達成感からか、出羽三山を仰ぎ見て、そこに神仏の姿を見た昔人の想いに触れたような心地よさが残る。
■3:関東屈指の天空の聖地を目指す「三峯山」(埼玉県秩父地方)
秩父にある三峯山の頂には、天台修験の関東総本山と呼ばれた聖地・三峯神社が鎮座し、極彩色の精緻な彫刻が施された権現造りの社殿は、参拝者の目を楽しませている。その境内から、奥宮へと厳しい参道が延びている。
奥宮への参道は、中世から近代にかけて修験の霊場として知られており、昼も薄暗い鬱蒼と茂る緑の木立と足元に転がる岩がある。
そして、三峯神社を出発して1時間30分ほどした頃、妙法ヶ岳の山頂に辿り着く。そこは、視界を遮るものがなく、燦々と日の光が降り注ぐ「天空の聖地」。その神々しさは、思わず旅の疲れを忘れるほどである。
そんな「天空の聖地」は、厳しい修験の道を歩き通した者だけに許された眺望なのだ。
■4:泰澄大師開山1300年の霊峰「白山」(石川県、福井県、岐阜県)
石川県、福井県、岐阜県にまたがる白山は、御前峰、別山、大汝峰を中心とする連峰の総称である。
標高2700mを超えた御前峰の頂には奥宮があり、白山比咩神社が管理している。今では本格的な夏山登山の聖地として有名ではあるが、古来、山岳信仰の拠点として篤く崇拝されてきた。
装備も不自由な時代に、人々はなぜ過酷な道のりを頂まで目指したのだろうか。
「そこに行けば、神仏に出会えるからです。」平泉寺白山神社の平泉隆房宮司は語った。「古来、人々が登ったのは修行のためです。白山を開山した泰澄 大師は仏教の奥義を窮めるため、白山そのものに神性を感じて登拝したのです。」
白山信仰の越前側の拠点だった白山平泉寺は、戦国時代には20万人の僧兵を動員できたとも伝えられる北陸の一大勢力だった。しかし、その大伽藍は天正2年(1574年)に一向一揆の戦いの末、全山焼亡した。中世の石畳や増坊跡は、まさに夢の跡。今は美しい苔に覆われた静寂な空間となっている。
そして今年(平成29年)、白山は、泰澄大師開山から1300年という節目の年を迎える。
■5:神を感じる山「三輪山」(奈良県桜井市)
奈良盆地の東南部に位置し、円錐形の秀麗な山容で、朝陽の光に神々しく輝く三輪山は、山そのものが神奈備、すなわち神体山である。
そのため三輪山の麓の大神神社には、本殿はなく、拝殿を通して三輪山を拝む、日本の神社の原初的な形態を残している日本最古の神社である。
三輪山の登拝口は、大神神社のほど近くにある狭井神社の拝殿右側にある。神気を直に受けたいと裸足で登る人も少なくないという。その狭井神社の拝殿の奥には薬井戸があり、そこに湧き出る御神水は“薬水”と呼ばれ、この水を飲めばいろいろな病気が治るといわれている。
さらに大神神社の末社である久延彦神社は農業の神であるとともに、知恵の神としても有名である。多くの人が神を感じ、惹きつけられる聖山。それが三輪山なのである。
■6:今も聖地の空気が漂う「高野山」(和歌山県高野町、かつらぎ町)
高野山の奥の院では、今でも弘法大師空海が瞑想を続けているとされており、毎朝、如法衣と呼ばれる袈裟をまとった僧侶たちによって、空海の食事が運ばれている。この儀式は「生身供」といい、1200年もの間、一日たりとも欠かさず行われているという。
また、高野山壇上伽藍には、空海が構想した曼荼羅の世界を表現されており、その中核となる根本大塔には、立体曼荼羅が具現化されている。今も空海が修行を続けており、その教えが守られている証である。
1200年前、なぜ、空海はこの地を選んだのだろうか。それは、この地が、空海以前から、地の神である密教の壮大な根本思想を顕す聖地で、日本古来の信仰のあり方に即した神仏習合を尊重したためと言われている。神が鎮座する聖地として守られてきた地をあえて「聖地・天野の里」を選び、開創したのだ。
頭上は天であり、夜になれば満点の大宇宙が仏の世界として広がっている。一際美しい高野山の星空を見上げると、心の中に清らかな風が吹き抜ける思いがする。
高野山は、弘法大師空海の教え・魂が、今もなお、守られ、伝え継がれている聖地である。
■7:熊野三山(和歌山県熊野地方)
熊野は古来、日本人にとって特別な聖地であった。飢饉や戦乱の起こるたびに、その時代の上皇や貴族は、都から往復約650kmもの険しい道のりを、幾日もかけて熊野三山を詣でた。
当時、1か月もかかる長い旅程にも関わらず、競うように詣でたのは、参詣道での苦行が多ければ多いほど、罪穢れが祓われ、来世での苦しみが減じられると信じられていたためである。何が彼らを熊野にかき立てたのか。
それは、熊野本宮大社が来世の救済を叶える極楽浄土、熊野速玉大社が過去世の罪悪を祓う浄瑠璃浄土、熊野那智大社が現世利益を授ける補陀落浄土と三山一体の信仰形態を成しているからだと言われている。
熊野本宮大社から熊野速玉大社へは、熊野川を船で下って向かう。この40kmは「川の参詣道」と呼ばれ、世界遺産にも登録されている。その熊野速玉大社の元宮、神倉神社の御神体は、「日本書紀」で神武天皇が登った天磐盾とされている磐倉で、ゴトビキ磐と呼ばれる、一見宙に浮いたような巨岩である。
また、熊野三山の最後の1つ、熊野那智大社には那智滝がある。那智山中の数多の滝のうち、修行の行場とされた48の滝を総称して、那智滝と呼ばれる。中でも、白い光の柱と見まがう落差133mの瀑布は、古来御神体として崇められてきた。おそらく古代の人々は、圧倒的な自然の美と脅威に神を見出したのだろう。
以上、『サライ』2016年8月号の「聖地・霊場」特集から、古来信仰を集めてきた日本の聖地を7箇所ご紹介した。新しい年、清らかな心で訪ねてみてはいかがだろうか。
※この記事は『サライ』2016年8月号掲載の特集記事「人生の答えは聖地・霊場にあり」を元に、Web用に再構成したものです。(Web版構成/藤谷尚美)