琵琶法師1

夏の昼下がり檀家で琵琶の音と共に無病息災を祈り経をあげる。撮影/高橋昌嗣

文/高橋昌嗣(写真家)

昭和49年7月、私は「琵琶法師」に会いに国東半島へ旅をした。

とはいえ、なんのあてもなかった。琵琶法師がどこに住んでいるのかも分からないまま、とにかく杵築駅から大分交通の国東行きのバスに乗ったのだった。

バスの停留所を幾つか過ぎ、武蔵古市という停留所で降りた。この停留所の名が、なんだか古色蒼然として、琵琶法師に会えそうな地名だったからという、それだけの理由にすぎないのだが……。

たまたま降り立った武蔵古市は、国東半島の中心たる霊山「両子山」の山頂から流れる幾筋もの谷のひとつ、武蔵の谷の下流に位置する土地であった。

腹ごしらえに立ち寄った雑貨店兼食堂でたぬきウドンを頼み、この辺りに琵琶法師はいないだろうかと店の主人に尋ねると、川を渡った先を左に入ったところに「法印さん」が住んでいると言う。

田んぼの畦道を進むこと10分、小さな集落に入ると、その一角に寺があった。寺といっても普通の一軒家で、「天台宗宝珠院教会」という表札が寺であることを示しているだけである。

その寺こそが、「法印さん」こと琵琶法師の寺兼住まいであった。

琵琶法師1

神妙にお経に耳を傾ける子供達。撮影/高橋昌嗣

琵琶法師1

若干の御供え物を前に読経に熱が入る。撮影/高橋昌嗣

この「法印さん」の名は中野清信さん。当時65歳。極度の弱視で、明るい昼間はかろうじて歩きまわることができるが、夕方からは介添えがないと一歩も家を出たりできなかった。

琵琶法師の開祖は、玄清大法印、幼名乙丸という天台宗の盲僧である。いまから1350年ほど前というから、飛鳥時代後期にあたるころだ。

以来、琵琶を弾きながらお経を上げ、お布施、酒、米。醤油、野菜などをいただいて生計を立てていた琵琶法師は、弱視者や盲人に対する、社会的救済の役割をも担っていたのだという。

地域医療のない時代、風土病などの眼病で目を患う人は少なくなかった。大半は盲人であったので、土地の人たちは「座頭どん」と呼んでいたというが、中野さんは「法印さん」と呼ばれ親しまれていた。

琵琶法師1

留守番をしていた女性が法印さんの琵琶に聞き入っていた。撮影/高橋昌嗣

盲僧琵琶は、芸能琵琶とは違う(もちろん盲僧が糊口をしのぐために芸能琵琶を引いていたこともあると聞いているが、定かではない)。盲僧の琵琶は、あくまでも檀家を回って、土用行、地鎮祭など無病息災を祈りお経を唱える時の伴奏の為の琵琶である。そのため彼らが使う琵琶も、持ち運びに便利なようにつくられた小振りの琵琶で、笹琵琶と呼ばれていた。

ひところ国東半島に30人はいたという琵琶法師だが、すでに昭和49年時点で、現存していた「法印さん」は、武蔵古市に住む中野清信氏と、国東町に住む高木清玄氏の二人だけとなってしまっていた。

琵琶法師1

時に優しく、時には荒々しく読経はつづく。撮影/高橋昌嗣

高木清玄氏については、当時NHKでもドキュメンタリー番組が放映されたりしたために、各地で知られる存在であったが、中野清信氏のような素朴な琵琶法師はめずらしかった。

あれから45年、すでにお二方とも他界され、近在の檀家を巡り歩く琵琶法師の姿をみることはできなくなってしまった。

が、今でも国東半島には、少し谷の奥へ足をのばせば、小振りの笹琵琶を担いで、とぼとぼと畦道を歩く「法印さん」を偲ばせる風景が広がっている。

琵琶法師1

暑さにめげず、法印さんはひたすら檀家を訪ねあるくのだ。撮影/高橋昌嗣

琵琶法師1

法印さんが歩いたであろう、谷合いに広がる畑の風景。撮影/高橋昌嗣

琵琶法師1

秋も近づき人影もない神社前の農道。撮影/高橋昌嗣

写真・文/高橋昌嗣
1967年桑沢デザイン研究所 グラフィックデザイン科卒業後、フリーカメラマンとなる。主な作品は、ニューヨークMOMA に収蔵された写真集「UTSUSHIE」(1990年スタジオマックス刊)。文藝春秋の6年間連載の「文士の逸品」(2001年文春ネスコ刊)。若き日の旅の果てにたどりついた軍艦島のドキュメント写真集「軍艦島 夢幻泡影 1972-2014」(2014年大和書房刊)がある。現在、1980年の小学館刊「写楽」の仕事を皮切りにサライのグラビア、書籍の表紙、などエディトリアルを中心に従事する。

 

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