近年、日本人観光客に人気が高いタイ王国。急発展している首都・バンコクの刺激も魅力ですが、バンコクから車で2~3時間走ると素晴らしい渓谷が広がっています。そこは、リバー・リゾートやエコツーリズムを堪能できる、ミャンマーとの国境に近い西部エリア。タイの美しい自然に触れる今回の旅は、マングローブの森を紹介します。
サムットソンクラームってどこ?
山が好きで、休日、せっせと登っていたら、ある日、タイ国政府観光庁さんより、「白石さんにぴったりのワイルドなプレスツアーがありますよ」と電話がかかってきました。
「タイに高い山なんてありましたっけ?」
「いえいえ、今回は、バンコクよりちょっと南西のサムットソンクラーム県とミャンマーの国境にあるカンチャナブリー県に行きます。山はないけれど川が素敵なんですよ」
カンチャナブリーといえば、映画「戦場に架ける橋」で有名になったクウェー川鉄橋くらいは知っているけれど、橋以外の見どころを知りません。タイのガイドブックにも鉄橋には触れているものの、その2つの県はほとんど紹介されていませんでした。
しかしながら、送られてきた日程表には「マングローブの森で植樹」「川で泳ぐ」「象を洗う」「アドベンチャーパークでロープブリッジ」と体力勝負なキーワードが並んでいます。ズブ濡れになりそうなこと、蚊が出そうな場所であることは予想がついたので、たくさんの着替えと強力な蚊よけスプレーをスーツケースに詰めて羽田からタイ航空でバンコクへと向かいました。
旅の始まりはマングローブの森
バンコクの大渋滞に巻き込まれながら、車で南東に向かうこと約3時間、クローンコンという海に近い川沿いの集落に到着しました。この先にマングローブの森があるようです。
村の人たちが用意してくれたボートに乗り込み、マングローブが茂る川を下り広い干潟に出ると、ニョキニョキと泥の中に枝が突き刺さっています。どうやらこれがマングローブの苗のようです。 船を止めた船頭さんが「さあさあ、降りて。マングローブ植えて!」と苗を渡すのですが…どのくらい深いのか分からない泥地帯。奇妙な生物がいるかもしれません。躊躇していると、同じタイ研修ツアーの旅行会社でエコツーリズムを担当しているSさんが立ち上がりました。「これも仕事! 私が先に行きましょう!」と男らしく、泥の中にジャボンと飛び込みます。
「Sさん、どうですか?」
「おおお、どんどん沈んでいく!」
みるみるうちにSさんの腰から下が泥に埋まっていきます。
「うわあああ!」
「こっち向いて! 苗を植えて!」と声をかけながら、あわてふためくSさんに向けてシャッターを切りながらも、いったいどこまで沈むのだろうと心配になります。
ところが、「沈む前に歩く!」とガシガシと干潟を前進しはじめたSさん。さすがエコツーリズムの担当者です。ただ者ではありません!
Sさんに続いてみんな船を降りた後も、ひとり船に残って写真を撮っていると、船頭さんに「おまえは降りないのか?」と怪訝な顔をされました。「泥だらけになると足が痒いもの」と言うと、「しょうがない、これに乗りなさい」と出してきてくれた秘密兵器がスノーボードのような板に木の箱を乗っけたような代物。こんな小さな板で沈まないのでしょうか?
みなさんが、泥まみれになって苗を植えている横で、船頭さんに引っ張られて植林をはじめると、「あっ、ずるい!」と、泥だらけになったSさんが眉間にシワを寄せています。ところが、「ちょっとお姉さん、次の人が使うから、そろそろ板を返して」と、結局、泥の中に放り出されてしまいました。
なぜマングローブを植えるのか?
全員、ドロドロになって船に戻ると、今度は沖へと向かいます。しかし、なぜ、この村ではマングローブを植えているのでしょう?
村の人によると、このあたりには、もともと自然のマングローブが生えていたそうなのですが、24年前から価格の高い車海老の養殖がはじまり、川沿いに養殖場を作るのに邪魔なマングローブを切ってしまったのだそうです。
ところが、洪水で養殖場が流されたり、養殖の水で川が汚れてしまったり、海老が病気で死んでしまったりして車海老が激減。この川沿いで暮らしている300万人の人々は暮らしていけなくなってしまいまいた。 自然環境が悪くなったことで、よそへ引っ越してしまったり出稼ぎに出る村人が増加。収入のあてがないから泥棒も増え、自暴自棄になって麻薬に手を出す若者も増えるという悪循環に陥ってしまったのです。
それを断ち切ろうと村の有志が7年前に始めたのが、マングローブの森再生プロジェクトだそうです。 「マングローブには水質浄化の力があるだけではなく、温暖化防止や津波の被害を軽減する役割もあるんだよ。海老の養殖はやめて、マングローブの森を再生させたことで崩れていた生態系が復活し、今では立派な天然の海老や魚が獲れるようになったんだ」と教えてくれました。
昔ながらの漁業を復活させる一方、環境教育や観光業にも力を入れるようになりました。バンコクから遊びに来た観光客は、川沿いに並ぶ水上コテージに宿泊し、マングローブを植え、ここで獲れた海老料理に舌鼓。お客さんが増えることで雇用が生まれ、子供も学校に行かせられるようになったそうです。
広大な干潟で海老漁を見学
船が沖に出ると一気に風景が開けます。水平線の向こうまで見渡せる雄大な景色の中、人ひとり乗った小さな船が数隻、浮かんでいるのが見えます。
青い網を引き揚げている船に近づくと、漁師さんが網の中を見せてくれました。わずか1cmくらいの小さな海老ですが、これで海老味噌を作るのだそう。海老や小魚のほかに赤貝などもよく獲れるそうです。
地元のサルに襲われる!?
穏やかな風景にみんな満足して船がUターンしたとたん、恐ろしい事件が起こりました。先ほどまでいなかったサルの大群が両岸に座っているのです。「おお、サルだ!」「かわいいね!」と言い合っていると、突然、大きなサルがと川に飛び込み、「あれれ? サルって泳ぐんだっけ?」と思っているうちに、船に乗り込んできたのです!
船内は大騒ぎになりましたが、なんと、狙っていたのは私のカバン。ギュウーッとカバンを握り締めるサル! バナナも入っていないのに、なぜ!? サルとカバンをひっぱりっこしているうちに、後ろにひっくりかえって床に頭をゴツンとぶつける始末。最後は船頭さんがシッシッと追い払ってくれましたが、とんだ災難です。マングローブの森を訪れたら、みなさまもどうぞサルに気をつけて!
次回は、同じサムットソンクラーム県のココナツシュガー工房を訪ねます。
取材・文/白石あづさ
旅ライター。地域紙の記者を経て、約3年間の世界旅行へ。帰国後フリーに。著書に旅先で遭遇した変なおじさんたちを取り上げた『世界のへんなおじさん』(小学館)。市場好きが高じて築地に引っ越し、うまい魚と酒三昧の日々を送っている。
取材協力/タイ国政府観光庁