保護猫だって幸せになれる――。外で過酷な生活を送る野良猫たちに温かい手を差し伸べた「本当の家族」たちが、新しい小さな「家族」にくれた名前に隠された感動秘話。「全てのにゃんこに幸せを」のメッセージを送る『ありがとう!わさびちゃん』のツイッターアカウントで募集した保護猫の名前由来に応募頂いた保護猫たちのエピソード第4弾です。
■とらこ(4歳、メス)
とらこさんは、一緒に暮らす相方さんがある日突然、里親募集で引き取って来た猫さんです。その日、僕が帰宅すると暗い部屋の奥から物音がしたので、恐る恐る電気を付けたら、茶色い可愛い毛玉がいた、という感じです。当時はまだ、生後4か月でした。
僕的には「ねこ」と言う名前が良かったのですが、相方さんが虎毛で女の子だから「とらこ」が良いと主張。とらこさんを家族に迎える決意を最初にした相方さんの意見尊重で、「とらこ」に決まりました。
相方さんによると、引き取りに行った時、とらこさんを含めて3匹の猫さんがいたそうです。他の2匹はお互いじゃれて遊んでいたのに、とらこさんだけ相方さんの所に着てこてんと甘えて来たのが決め手だったそうです。とらこさん、なかなか営業上手とみました。
迎え入れてすぐ、おトイレを教えなくちゃ! と相方さんと話していたのですが、買って来たトイレを設置して様子を見ていたら、教えてもいないのに自分でちゃんとトイレを確認し、用を済ませました。その様子に、相方さんと2人で驚いたものです。あれから4年、今ではいないと困る大切な家族です。
(ツイッターアカウント名:らいか@Laika012)
■タマ(推定16歳、メス)
タマと出会ったのは、16年ほど前。近所の公園で、なぜか1匹だけでいるのを見つけました。かわいくて遊んでいたら懐いたので、連れて帰り、家族の一員に迎えることにしました。出会った頃のタマはやせ細っていて、顔は逆三角形。耳がとても大きかったのを覚えています。おそらく、生後半年ぐらいだったのではないでしょうか。
最初は猫を飼うことを同居する祖母から大反対されました。でも、タマと一緒に暮らすうちに、いつの間にか祖母もすっかり情がうつってしまい、飼ってもいいという許可が祖母から出て、正式に家族になったのです。
あんなに反対していた祖母ですが、今ではタマを我が子のようにかわいがっています。タマも、祖母をお母さんと思っているような。
タマのことは、最初はファービーという名前で呼んでいたのですが、祖父が昔飼っていた猫にそっくりということで、いつの間にか祖父からタマと呼ばれていました。姉とも、「もうタマでいいよね」と話し、正式にタマになりました。
(ツイッターアカウント名:あつこ@atsu_neko)
■イオンちゃん(8歳、メス)
イオンちゃんとは、当時よく行っていたマックスバリュというイオンのスーパーの駐車場で出会いました。
初めて彼女を見た時は、まだ生後3か月くらいだったでしょうか。スーパーの従業員の方が、特売日になるとたくさんの車がひっきりなしに駐車場を出入りして、このままこの子猫を放置しておいたら轢かれて死んでしまうかもしれない、と不安そうにおっしゃっていました。そこで、特売日がくる前になんとしてでも保護しよう!と意を決したのです。
駐車場に捕獲機を設置。おどおどした三毛の子猫を助けたくて、無我夢中でした。すったもんだの末、なんとか捕獲機に入ってもらって、無事保護。自宅に連れ帰り、正式に我が家の子として迎えたのでした。
イオン系のスーパーの駐車場で出会った子猫だったので、イオンちゃんと名付けました。
この時はたまたま猫ちゃんだったわけですが、もし保護したのが犬だったら、スーパーの名前からマックスと名付けていたと思います。
(ツイッターアカウント名:a.meister@EmikoMeister)
■鳴(10歳、メス)
鳴との出会いは、本当にいくつもの偶然の重なりの結果でした。偶然というより、必然だったのかもしれません。
10年ほど前のことです。その日は、なぜかいつもはあまり通らない道を歩いて帰宅しました。どうしてその道を通ったのか今となっては思い出せないのですが、とにかく普段通らない道を歩いていたら、どこからともなく子猫の鳴き声が聞こえてきました。「ん?」と立ち止まって辺りを見渡すと、とあるマンションの植え込みの陰に、小さなものが動くのが目にとまりました。
鳴いていたのは、まだ目も開かない小さな小さな赤ちゃん猫でした。かろうじて体をよじらせる程度で、ほとんど動けない子猫は、パッと見でもかなり衰弱していることがすぐわかりました。それでも、助けを求めているように、必死でぴゃーぴゃー鳴いていたのです。
こんな小さな赤ちゃん猫がこんなところに上れるはずもなく、周囲には母猫も兄弟猫もいませんでした。「捨てられたんだ…」と判断し、連れ帰ることにしました。
あんなに弱っていたのに、必死で声を上げて、ついに私を呼び止めた子猫。全身の力を振り絞って、命がけで鳴いていたんですね。か弱い、だけど強い生命力を感じさせたその鳴き声から、「鳴」と名付けました。瀕死だった子猫も、今はもう10歳です。
必死の鳴き声がきっかけで我が家の子になったことせいかどうかはわかりませんが、おかげで要求があるとまずは鳴いて主張する猫に育ってしまったのはご愛嬌です。
(ツイッターアカウント名:あず@AZRAEL_aod)
■イーク(推定6歳、オス)、チャチャ(1歳、オス)
2年前の夜のことです。それまでも猫の保護という活動のことは知っていましたが、わさびちゃんの父さん母さんの影響を少なからず受け、私も意を決してTNR(野良猫を捕獲、不妊・去勢手術を受けさせ、元の場所に戻す活動)や里親探しをするようになりました。イークとの出会いも、そうした保護活動の中でありました。
ある晩、近所でそのための捕獲機をセットして捕獲の準備をしていた私の前に突然現れたのがイークです。それまで自宅付近で見たことのなかった長毛の大柄な猫が、闇夜にいきなり現れたのです。
「えー! どこの子?? 見たことない! この辺の子なのかな?」
周囲の野良猫の顔は、たいていわかっていたつもりでしたので、見慣れない猫に突然出会い、ちょっと驚きました。でも、
「きっと夜の散歩に出て来て通りすがっただけだろう」
くらいに思って、その時はその長毛の猫とそのまま別れたのでした。しかし、その夜以降、その長毛の猫は我が家の周辺にいつもいるようになりました。そしてやがて、TNRをした他の猫たちが残したゴハンを食べあさる姿を目撃するようになったのです。その様子から、どうも近所で飼われている猫ではない、ということがわかり、この子もTNRを、と考えるようになりました。でも、なかなか捕獲できず、日々が過ぎていきました。その間、私はこの長毛の猫を「イケメンくん」と呼んでいました。
出逢いから10か月経ったある日、ようやくイケメンくんの捕獲成功! 去勢手術を終え、我が家で1泊療養させることにしたのですが、このままリリースすることに戸惑いを感じました。
10か月の時間と共に、私達家族はイケメンくんにすっかり愛着を持つようになっていたのだと思います。イケメンくんを再び外猫に戻したくない、家族に迎えたい、という気持ちになっていました。
「家族に迎えるなら改名しよう!」
イケメンをローマ字にすると「ikemen」で、最初の3文字の「ike」を並び替えて「iek/イーク」になりました。名前は変わりましたが、イークは相変わらずのイケメンです。
2匹目のチャチャと出会ったのは、昨年7月12日でした。その日の夕方、近所から突然、子猫の大音量の鳴き声が聞こえてきました。
「ママを探しているのかな? どこの子かしら? そのうちママと合流できるでしょう」
などと安易に考えていましたが、夜中になってもその悲痛な叫び声が止む気配がありませんでした。そのまま聞こえないふりをして眠れるわけもなく、夜中の1時に起き出して、捕獲器の中にフードをセット! 保護できたら里親探し! そう思いながらその夜は寝ました。
そして翌朝、捕獲器の入口は閉じられ、中に何かが入っていることは分かりました。被せてあったシートをそーっと捲ると……手のひらサイズの小さな小さな茶色の子猫が小刻みに震えていました。入れてあったフードはきれいに平らげてあり、大きな目を更に見開いて怯えていました。警戒心が強く、「このままでは譲渡できない。人慣れするまで様子をみよう」と思いました。
茶トラはオスが多いので保護名として「茶色くん」「ちゃー坊」と呼んでいるうちに、いつの間にか短縮され「チャチャ」になりました。
保護から1週間、寄生虫の影響で体調を崩し、二度の入退院を経て、700gから900gに成長! 小さな小さな子猫は、見事に命の危機を乗り越えてくれました!
その頃には里子に出す気持ちはスッカリ消えていて、「チャチャ」が定着していました。今では我が家の大事な家族です。
(ツイッターアカウント名:Mya-mam@mam_828)
文/平松温子
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