■小太郎の“おふくろの味”はフライドポテト
なんの気なしにテイクアウトのフライドポテトを家に持ち帰った日のことです。その頃は仕事が立て込んでいて、帰宅時間も遅くなりがちでした。料理を作る気力もなかったので、その日は手っ取り早くファストフードを夕食に買ったのです。
玄関のドアを開けた途端、小太郎が尋常じゃないほど興奮して、「ニャー!ニャー!ニャ~~~!」と叫んで駆け寄ってきました。
「どうしたの、小太郎!?」
いつも苦しそうに寝てばかりで、移動する時も足もとがおぼつかないようになっていた小太郎が、病気とは思えない猛ダッシュ。どうやら小太郎が興奮していたのは、私の存在というより、私が手に提げていたフライドポテトの入った袋だったようで、小太郎は一目散に袋に突進してきたのです。
「え、フライドポテト? これが欲しいの?」
もちろん、油分も塩分も高いフライドポテトを猫に食べさせるのはよくありません。でも、もう命の灯が消えかかっていた小太郎には、食べたいと思ってくれるものを食べさせようと思って、フライドポテトを与えてみました。すると小太郎は、無我夢中、一心不乱にガツガツとフライドポテトを食べ始めました。まさか小太郎がこんなにフライドポテト好きだったとは、思いもよりませんでした。
おそらく、小太郎は野良時代にゴミ箱をあさる生活をしていたのだと思います。
以前、子猫は母猫からハンティングを教わる話をしました。野良として生まれた小太郎も母猫にハンティングを教わったのでしょう。でも、アメリカの街で生まれ育った野良猫のハンティングというと、飲食店などの裏路地のゴミ箱あさりが最も確実な方法だったはずです。ゴミ箱に入っている残飯の中には、フライドチキンやフライドポテト、ハンバーガーなどがあったのでしょう。
小太郎の場合、“おふくろの味”はフライドチキンやフライドポテト、ハンバーガーだったのだと思います。
亡くなる直前まで、病気と闘うために、体力をつけるために頑張った小太郎でしたが、結局、病気には勝てませんでした。13歳の生涯でした。出会った時の正確な年齢がわからないので、何年生きたのかわかりませんが、おそらくそれくらいだったと思います。
今も鶏肉やフライドポテトを見ると、小太郎のことを思い出して、切ない気持ちになってしまいます。小太郎は最後の最後で、私に“おふくろの味”を教えてくれました。
《入交眞巳(いりまじり・まみ)さん プロフィール》
日本獣医畜産大学(現・日本獣医生命科学大学)卒業後、米国に学び、ジョージア大学付属獣医教育病院獣医行動科レジデント課程を修了。日本ではただひとり、アメリカ獣医行動学専門医の資格を持つ。北里大学獣医学部講師を経て、現在は日本獣医生命科学大学獣医学部で講師を勤める傍ら、同動物医療センターの行動診療科で診察をしている。
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