■男の苦悩に寄り添った、裁判長の説諭

さらに裁判長は、男の将来に思いを馳せて、穏やかな口調で説諭を始めたのである。

「いくつもの病気を抱え、妻に迷惑をかけたくないと、将来を悲観した経緯は、たしかに高齢者特有の心情として理解することができます。ただ、あなたは若い頃から70歳になるまで、半世紀以上も働き続けたんです。胸を張って生きていいんです」

「あなたは今まで『迷惑をかけたくない』という思いが強すぎたのではないでしょうか。これからは、迷惑をかけていいんです」

男は「わかりました」とだけ答え、裁判官と裁判員に深々と頭を下げ、そのまま閉廷した。

■「迷惑を掛けていい」の意味とは?

「迷惑」という言葉の意味は、他人がしたい行動を妨害するなど、嫌な目に遭わせることをいう。確かに「迷惑を掛けないよう、慎ましく実直に生きる」のは、日本人の美徳である。

むやみに騒音を出したり、急いでいるのにやたらと引き留めて勧誘してきたりするなど、他人の行動を妨害したりする迷惑は慎むべきだ。全国の各都道府県には「迷惑防止条例」が定められており、他人への迷惑行為が類型化された上で規制されている通りである。

ただ、いざというときに「誰かを頼る」「助けを求める」ことまで、同じような「迷惑」だと捉えて遠慮しなければならないとすると、途端に、息の詰まる社会が出来上がってしまう。

「誰かを頼れば迷惑になる」が行きすぎた先には、自ら命を絶とうとするほど心身共に追い詰められるおそれまで生じる。

妻を専業主婦として、ひたすら働いて家庭へお金を入れ続けてきた夫の心には、無意識のうちに「妻を養っている」という意識が芽生えることもありうる。しかし、「養っている」はずの妻から受け取っているものの大きさにも気づかなければならない。

妻の介護を受けている夫は、「何も返してやれない」と自分自身を責めてしまいがちだが、そこまで大きな見返りなんて、妻は求めていない。ただ、「ありがとう」の一言で十分だったりもする。

※本記事の裁判の情報は、著者自身の裁判傍聴記録のほか、新聞などによる取材記事を参照させて頂いております。また事件の事実関係において、裁判の証拠などで断片的にしか判明していない部分につき、説明を円滑に進める便宜上、その間隙の一部を脚色によって埋めて均している箇所もあります。ご了承ください。

取材・文/長嶺超輝(ながみね・まさき)
フリーランスライター、出版コンサルタント。1975年、長崎生まれ。九州大学法学部卒。大学時代の恩師に勧められて弁護士を目指すも、司法試験に7年連続で不合格を喫し、断念して上京。30万部超のベストセラーとなった『裁判官の爆笑お言葉集』(幻冬舎新書)の刊行をきっかけに、記事連載や原稿の法律監修など、ライターとしての活動を本格的に行うようになる。裁判の傍聴取材は過去に3000件以上。一方で、全国で本を出したいと望む方々を、出版社の編集者と繋げる出版支援活動を精力的に続けている。

『裁判長の沁みる説諭』(長嶺超輝著、河出書房新社)

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