取材・文/坂口鈴香
国立社会保障・人口問題研究所が今年4月に発表した「日本の世帯数の将来推計(都道府県別推計)」によると、65歳以上の世帯主の割合は、2040年には45都道府県で40%以上に、さらに世帯主65歳以上の一人暮らしの割合は、2040年には全都道府県で30%以上になるという。さらに2015年時点で、高齢者の一人暮らしは625万世帯だが、2040年には896万世帯にまで増えると予測している。
人生100年時代という言葉も、すでに使い古された感さえある。80歳になった自分は、そして90歳を超えた自分はどこでどう暮らしているのか――。そこに明るい未来を描ける人はいるだろうか。
■母がサ高住を脱走したわけ
首都圏に住む船田郁也さん(仮名・55)は、宮崎県で一人暮らしをしていた94歳の母、弘子さんを自宅に近い首都圏のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)に呼び寄せた。
父親は、船田さんが3歳のときに亡くなっている。一回り年の離れた兄と船田さんが大学進学で宮崎を離れてから、弘子さんは37年間一人で暮らしてきた。とはいえ、宮崎には親戚も多く、実家の隣には船田さんの従兄家族が住んでいたし、弘子さんは活動的で友達も多かったことから、船田さん兄弟は弘子さんの一人暮らしを気にかけながらも、まだ大丈夫だろうとこの年まできたのだった。
もうひとつ、弘子さんが90歳を過ぎても一人暮らしを続けることになったのには訳がある。
「実は、一度サ高住を“脱走”したことがあるんです」
“脱走”とは穏やかではない。だが、船田さんの言葉は決して誇張ではなかった。
「90歳になる直前、母が肺炎になって入院したんです。しばらくベッドから動けない状態が続いたため足が弱り、肺炎が治っても一人暮らしの家に戻すのは危ないだろうと、兄と話し合ってその病院が経営しているサ高住に入ってもらうことにしました」
弘子さんには事後承諾という形になったが、病院が運営するサ高住なら信頼できるだろうと船田さん兄弟は考えたのだ。
「ところが、そのサ高住が母に合っていなかったんです。サ高住は有料老人ホームなどとは違って自由度が高いと思っていたのに、そのサ高住にはまったく自由がありませんでした。初めての集団生活、自由に外にも出られない。それまで自分のペースで暮らしてきた母にとって、何より苦痛だったようです。『外に出たい。家に帰してほしい』と懇願する母にてこずった施設長が、あろうことか『早くボケればいいんじゃない』と言ったらしい。それで母は激怒。荷物をまとめて家に帰ってしまったというわけです」
そのときのことは、あまり思い出したくないと船田さんは眉を曇らせた。
だがこの苦い経験で、船田さんは学んだ。母の終の棲家選びは、本人の意向を聞いて、慎重に選ぶと――。
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