親は娘の行ないを責めなかった
景子さんが両親に離婚したことを伝えたのは、離婚後。離婚を機に、景子さんは地元を離れて、主要都市に引っ越し、そこで再就職を決めていた。その引っ越し先のマンションの保証人になってもらいたく、母親に電話したときに離婚を伝えた。
「母親は保証人のところにサインするから一度帰ってこいと言いました。実家からほど近い距離で暮らしていたのに、帰省するのは約6年ぶりでした。私は会うときっと、だから結婚には反対したのに、というような小言を言われる覚悟をしていきました。でも、両親は『元気か? 大丈夫か?』と心配してくれただけでした。
その場は会話が途切れてばかりで、お互いに気まずい空気を感じていたと思います。サインを書いてもらって、一緒に食事をしただけで家を出ました」
遠方に引っ越したことで物理的な距離もあり、帰省は年に1~2回ほど。距離が急激に縮まることはなかったが、父親が定年を迎えた年に、別々に暮らしてから初めて家族旅行に行く予定があったという。しかし、その旅行は新型コロナの影響で断念。そして今年の冬、ずっと父親が行きたがっていた温泉旅行に行く予定とのこと。景子さんは笑顔で「少し楽しみです」と口にした。
義母との偽りの関係の中で、景子さんは見返りを求める関係の脆さを知った。遠回りの末にたどり着いたのは、依存ではなく、ただ静かに支え合うことの温かさだった。
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。
