父親とは友だちのような関係で、2人でいることが当たり前だった
両親は離婚していなかった。ただ子どもから見たら、別居と離婚の違いがよくわらなかったという。
「当時はまだ学校で両親参加型の行事などがあったんです。そのときに参加してくれていたのは父と、父方の祖母でした。授業参観や三者面談など片親でいいときにはもちろん父親が来てくれていました。先生たちは私の家庭事情をどこまで把握しているかはわからなかったのですが、友人たちは私の両親は離婚していると思っていたでしょうね。友人から詳しく追及はされなかったから、離れて暮らしているとだけ言っていました。私も別居から離婚になったら自分の生活がどう変わるのかよくわからなかったし、それを積極的に調べようとも思いませんでした」
父親との2人暮らしは武志さんにとって当たり前となっており、母親がいないことも普通になっていた。そのまま武志さんは高校、大学と進学し、社会人に。社会人になって実家を離れたが、月に1、2度は父親と食事をするようにしていた。
「社会人になって、職場へは実家からも通うことができたのに、父親の意向で一人暮らしをはじめました。私自身は実家を離れるという考えが浮かばないほど、父親との生活は快適だったんです。高校生になった頃から家事を交代制にして、2人で捨て猫を迎え入れたりもしました。
父は温厚な人で、怒ることが苦手な人でした。そんな父は威厳なんて一切なくて、本当に友だちみたいな感覚なんですよ。家を出てからも月に1、2度は一緒に食事をするようにしていたのですが、それはお互いに会いたいから。父は私に寂しいと素直に伝えてくれるし、私も会っていなかった期間の出来事を父に伝えたくて仕方なかった。周囲から友だちみたいと言われるぐらい、私と父は仲良しだったんです」
武志さんは29歳のときに結婚。妻の意向もあり、義実家の近くで暮らすことになる。【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。
