株で大失敗をして、再起するために息子を児童養護施設に預ける

無事、出産をしたが、乳幼児を抱えながら働く口は少ない。

「頼れる親はいない、親戚もない、ホステス時代の友達にいつまでも迷惑をかけるわけにはいかない。養子に欲しいという人もいて、産んだらあげようと思っていたんだけど、我が子の顔を見ると、もうだめ。離れられないくらい可愛くて、愛しくてたまらないの。2年くらい暮らせる程度のお金は持っていたんですけれど、子供の成長は遅い。息子が2歳になったときに、今後、もっとお金がかかると思うと不安になってしまった。そこにつけ込まれたんでしょうね。“必ず儲かる株がある”と言う友達に、お金を預けたら無一文になっちゃったんです」

相手の家に「金を返せ」と怒鳴り込みに行ったが、「ない袖は振れない」と追い払われた。

「家賃も払えない、夜逃げするしかないとなったときに、昔は孤児院と言われていた、児童養護施設に息子を預けることを思いついた。可愛い盛りの息子と離れるのは辛いけど、このままでは共倒れになると区役所に相談に行ったんです。あれは昭和52(1977)年。女性の地位が低い時代でしょ。担当者から“母親失格だ”“なぜ育てられない”などと叱られて、追い払われた。二人で死のうと町を彷徨い歩いていると、ある教会から子供の声がする。吸い寄せられるように行ったら、修道女の方が出てきて話を聞いてくれた。そして息子を預かってくれると」

一度死んだと思ったら、できないことはない。瑞江さんは仲間内で“稼げるけどあそこに行ったら終わり”という温泉地にある旅館に行く。住み込みで死ぬ気で働いた。半年間で当時の会社員の年収(約250万円)以上稼いだという。

「100万円まで我慢して200万円まで積んで、さらに稼ぎました。節約をして同じ服ばかり着ていたので、同僚から“服が要らないわね”などと嫌味を言われましたが、仕方がない。こっちは息子を迎えに行き、育てなくてはならないんだから」

半年で息子を引き取りに行き、児童養護施設には相応のお金を渡した。2歳で母親の顔を忘れていると思っていたが、息子は瑞江さんの顔を見ると拙い発音で「お母さん」と笑顔を見せたという。

「あの笑顔が忘れられない。このことを誰かに話すと、“2歳の子供が覚えているわけないよ”“妄想だよ”などと言われますが、私は確かに聞いたんです」

その後、瑞江さんはビルメンテナンス会社に就職。温泉旅館で稼いだ金を頭金にマンションを買おうとしたら銀行は拒否。仕方なく就職したのだが、意外と昼の仕事は水に合っていた。

「給料はびっくりするくらい安いのですが、常識で話せる人がいて、やることが決まっている安定感。最初は清掃やゴミ出しをしていたのですが、事務方がいないと言われてデスクワークになったんです。座って書類仕事をするだけでお金ももらえて、タバコも吸える。簿記の勉強もさせてもらいましたし、住宅ローンも組めて最高だと思いました」

昼間の仕事だと、保育園に預けて働けることも魅力だったという。

【会社が合併され、リストラに遭いスナックを開店する……その2に続きます】

取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。

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