冷静な判断が、命を救った
次男は山菜を摘んでいるうちに、遭難したことに気づく。前年の台風の影響で山の地形が変わり、道に迷ったのだ。万一のために持ってきたアルミブランケットにくるまって、雨が避けられる場所で現在地を確認しようとする。山の中はスマホの電波が入らない。日の出の方向から現在地を把握したという。
「思った以上に山の中に入っていることがわかり、元の道に戻るよりも、県道に出て救助を待ったほうがいいと判断したそうです。県道に行くのも道に迷いながら1日がかかりで移動し、その日の夜も野営したとか。水はペットボトル1本のみ。のど飴を舐めながら、下山して助かったと話していました」
次男は山を熟知しており、40歳で体力があるからこそできたとも言える。
「冷静な判断が命を救ったとも言えるが、次男に聞くとやはり遭難したとわかったときはパニックになったそうです。焦りから方向を間違え、下山に時間がかかってしまったと。あと、遭難に気づいたときに、たくさん採った山菜を捨てるという判断ができたのも良かったと。山菜って自分で採ったお宝だから捨てられないんですよ。欲の皮が突っ張って、重いカゴを背負ったままだったら、命を落としていたかもしれなかったそうです」
次男は数時間で退院して、家に戻った。その前に入院していた妻は「せっかく入院したのだから」と検査をしたところ、大腸に前がん病変が見つかり、街の病院に搬送され、内視鏡手術をすることになった。
「あの遭難のおかげで母ちゃんは命拾いをした。次男は親よりも先に遭難して死んでしまうかもしれないという、最大の親不孝をしたあとに、無事に生きて帰ってくるという最高の親孝行をしてくれた」
次男はその後、山菜を採りに行かなくなったのかと聞くと、変わらず採りに行っているという。
「ただ、危ない場所に行かなくなったので、持って帰る量は減りました。こっちがやめてほしいと言っても、絶対にやるから、諦めています」
次男が遭難した2日間で、彼が地域の人の多くから頼られ、愛されていることを知ったという。
「会社の社長も同僚も、みんな次男を思って泣き、祈ってくれた。また、付き合っている女性も来てくれて、僕のことを支えてくれた。親の知らないところで、次男が豊かな人生を送っていることを知り、安心しました」
次男が交際している女性は、近くの観光旅館の中居さんをしており、康夫さんは全く面識がなかった。
「当時は交際2年目で、今も付き合っているというから、7年の仲になるんだよね。結婚しないのかと聞いたら、“色々訳ありな人なんだよ”と言っていたので、DVとか借金持ちの旦那さんから逃げているとか、そういう人なのかもしれない。ただ、たまにうちに顔を見せてくれるようになったので、それが嬉しい」
康夫さんは、子供たちが自分らしく生きていることが、最高の親孝行だと気づくことができたという。「親の望み通りにならなくても、楽しく生きていればそれでいい」としみじみと語っていた。
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。